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西大門刑務所跡−処刑場の露と消えた人々

 昨年末、金剛山歌劇団のソウル公演の取材のために、ソウルを訪れた折に、西大門刑務所跡を見学した。

 日本による韓国併合の2年前の1908年、日本帝国主義が抗日独立運動を弾圧するために作った「京城監獄」をルーツに持ち、関東大震災が起きた23年に改称した。

 敗戦後も87年まで刑務所として使用され、非転向長期囚をはじめ民主化闘争の闘士たちに過酷な拷問を科した血塗られた獄舎でもあった。

 冬のソウルの寒さを象徴するかのように周囲の山々に雪が積もり、耳がちぎれるように凍てつく。刑務所の門をくぐると最初にあるのが「女一獄舎」と呼ばれる女性独立運動家を拷問した地下房。展示のために天井を取り払っているが、高さはわずか1.4メートルしかない。3.1独立運動で活躍した「朝鮮のジャンヌダルク」柳寛順が日帝の残忍な拷問のすえ、18歳の短い生涯を閉じたのもこの場所だった。

 若い夫婦が、柳寛順の写真を前に、説明文を幼児に読み聞かせている場面に出くわした。その幼児が「イルボニ チュギョッソ(日本が殺したのか)?」と何度も親に問い返すのを聞いて、なんとも言えない厳粛な気持ちにさせられた。苦難に満ちた朝鮮の近代史を端的に表すこの重い一言。若い親子は大切な休日に歴史の現場に足を運んで、真情あふれる時を過ごしていた。

 短い時間に、10カ所以上の獄舎、ハンセン病舎などを駆け足で回って、最後に見たのが、日帝が愛国者たちを処刑した刑場。今も生々しく残る死刑台の縄と台、処刑された愛国者の遺体を運び出した秘密のトンネル跡…。

 独立・統一に身を捧げた愛国者らの無言の訴えが、そよぐ風を伝って心に響くようだった。(粉)

[朝鮮新報 2008.1.25]