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春・夏・秋・冬

 「たかが音楽、されど音楽」。ニューヨーク・フィルハーモニックの平壌公演について「過大評価すべきでない」(ライス国務長官)など、政治的な意義を極力薄め慎重に対応したいという米国側の発言が目立つ。しかし「帝国主義米国のオーケストラが平壌で公演するということ自体、意味がある」(全賢俊・南朝鮮統一研究院研究委員)事は否定できない

▼未だ戦争状態(停戦)にある朝米。両国の国旗が掲げられた舞台での国歌「愛国歌」と「星条旗」の演奏−「過大評価」はしたくなくとも、中米国交正常化への門を開く契機になったフィラデルフィア・オーケストラの中国公演(1973年)のように、歴史的な事実として語られていくだろう

▼本人の発言とは裏腹に、同公演を鑑賞するために平壌入りしたペリー元米国防長官は、ライス国務長官から金桂官外務次官らにメッセージを託され伝達したことを明らかにした。「バイオリン外交」(AP通信)は行われていたのである

▼ニューヨーク・フィルの一行は滞在中、国立交響楽団と交流。音楽専攻の大学生らに教授し、学生少年宮殿も訪れた。まさに「音楽に国境はなし」

▼今回、大挙して各国メディアが同行したが、朝鮮問題専門の日本人記者は皆無に近かったという。そのせいなのか、あるいは意図的な編集なのか、日本で詳細が事実そのままに紹介されることはなかった。一方で南朝鮮や米国公演の経験を持つ伝統ある金剛山歌劇団公演の会場使用を自治体自らが拒否し、右翼勢力が妨害するという日本の現実、米国との落差は大きすぎる。(彦)

[朝鮮新報 2008.2.29]