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〈世界最高峰に統一旗 セブン・サミット達成した鄭義哲さん−下〉 情熱注いだ3年3カ月 「絶対にあきらめない」

 鄭義哲さんは、7大陸の最高峰を登りながら「やればできる」ということを強く感じた、かけがえのない日々だったと振り返る。

人のために登る

 登山のトレーニングは、自己流でやってきた。とにかく山に登って体力をつけ、判断力を養った。風邪をひいても山に登り、ときには長時間一睡もせず登った。日本百名山は11カ月をかけ昨年夏に制覇。一日に4つの山を登ったこともあった。

 その過程で、死の危険を感じたこともあった。世界で6番目に高い8千メートル級の登竜門、チョーオユー(8201メートル)を登ったとき、目の前で雪崩に遭遇した。高さ800メートル上(6800メートル地点)、距離にすると1500メートルほどある位置から、ごう音と同時に氷の塊が落下してきて瞬時に雪崩が発生した。

 「雪の煙は、まるで雲仙普賢岳の土砂石流のようだった。粉雪が体にかかり、あたり一面の景色は変わっていた。正直、体を持っていかれてふっとばされるかと思った」

 約2分間、岩陰に隠れ雪崩から身を守った。幸いにも同じ部隊から犠牲者はでなかった。いつ、どこで、なにが起こるかわからない−そんな大自然の掟を身にしみて感じさせられた。

 登山家たちとの出会いもあった。訪朝した経験もあり体にハンデをもつ日本人の登山家からは、「朝鮮はとても良かった」という内容の手紙をもらった。また、ブラジル在住の日本人と3つの山で三度再会。同じ7大陸制覇を目指す者同士、会話が弾んだ。山で出会った仲間たちは、かけがえのない財産となった。

 山頂では、多くの登山家がセレモニーを行う。海外の山では国旗を掲げる登山家が多い。鄭さんの場合、7大陸すべてに統一旗を掲げた。「ぱっと浮かんだのが山頂に統一旗を掲げることだった」。同胞、登山仲間らから預かったものを同伴し、山頂で写真を撮り報告するという「小さな目標」も達成してきた。

 「恩師である東京朝高の教員からもらった帽子をかぶって登ると縁起が良い。自分の思いだけでは、なにかに欠ける。誰かのためにがんばる、というのは励みになるし、力の源になる」

同胞との出会い

 山と出会う前、鄭さんの趣味は釣りだった。1年のうちの11カ月を働き、夏に1カ月間ぶっとおしで釣りにでかける生活を5年続けた。当時の目標は日本記録となる大きさのイシダイを釣ることだった。

 そのような生活を送っていた04年の夏、釣りを終え、友人らとたまたま山に登った。メンバーのなかで一番若かったにもかかわらず、気がつくと一番先にバテていた。

 その年の11月からトレーニングを開始。05年の1月に奥多摩、その約1カ月後にキリマンジャロに登った。「走り疲れない体力がほしい」という初志から7大陸制覇にまで至ったのは、鄭さんの「何でも極めないと気がすまない性格」による。この間、体重は83キロから67キロまで落ちた。

 そんな息子の背中を押すことも、止めることもできない複雑な気持ちだったと振り返るのはオモニの洪順蓮さん(61)。「在日本朝鮮人登山協会の金載英会長をはじめとする同胞登山家、総聯関係者の人たちのことを一生忘れることができない」と語る。そして「世界一高いチョモランマの頂上で統一旗を掲げた息子を褒めてあげたい。息子にはやはり民族教育を受けたという『根』がある」と胸を張った。

 世界を巡った鄭さんだが、年に一度、在日本朝鮮人登山協会が主催する在日同胞大登山大会をはじめ同胞らが集う登山にも参加している。そこでの同胞との出会いは、つながりの重要性を再確認できる貴重な場であるという。

 「日本三百名山を達成する」「海外の8千メートル級の山を登り続ける」−これが鄭さんの現在の目標。「急ぐ理由もないので気楽にやってみたい。(経営している)喫茶店も建て直さないといけない」と笑う。

 「情熱さえあれば/努力さえすれば/山登りほど自分の夢をかなえてくれる/スポーツはほかにない」というある登山家の言葉は、鄭さんを常に勇気づけてくれている。

 在日同胞として初めて世界7大陸を制覇した鄭さん。在日同胞を勇気づけるメッセージを残した。

 「一度きりの人生、情熱を持ち続けることで、できることがある。目標は大きく、夢は大きく、あきらめてはいけない」(李東浩記者)

写真で見るセブン・サミット達成

[朝鮮新報 2008.7.2]