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〈世界最高峰に統一旗 セブン・サミット達成した鄭義哲さん−上〉 過酷な8848メートル チョモランマ登頂

 在日同胞登山家の鄭義哲さん(36)が世界最高峰のチョモランマ(エベレスト)への登頂を5月23日10時50分(日本時間14時5分)に成功させ、7大陸最高峰−セブン・サミット(※1)を達成した。海外同胞としては初の快挙。在日本朝鮮人登山協会の会員でもある鄭さんをサポートしようと同協会がスポンサーとしてバックアップした。

「死のにおい」

チョモランマを背に統一旗を広げ

 標高8848メートルのチョモランマ登頂をめざし、日本を発ったのは3月27日だった。現地入りした後、ネパール側からノーマルルートで頂上をめざした。

 登山中は20キロの荷物を背負う。最終キャンプまで、登山隊の共同装備はシェルパ(※2)に持ってもらうが、ワンピース式のダウン、厚手手袋、靴下、ゴーグルなどは自分で持つ。頂上へのアタック時には食料、水、手袋、ゴーグル、一本4キロの酸素ボンベなどザックを含め12キロほどにおさえる。できるだけ安全なルートを選ぶが、雪崩はひんぱんに起きるという。

 「死のにおいがする」(鄭さん)という7905メートル地点の最終キャンプ(C4)に着いたのは5月22日の16時。ここから酸素ボンベを使う登山家が多いが、鄭さんは、約7600メートル地点から使った。

 C4からは微妙な天候だったという。隊員5人、シェルパ5人で酸素を吸い休憩したのち、同日20時30分、頂上を目指し出発。タイミングを見計らったアタックだった。登頂までは天候の運に大きく左右されるからだ。

 このとき、アクシデントが鄭さんを襲った。酸素を節約せざるをえなくなったのだ。というのも、鄭さんが属した登山隊の登り方はハードだったため、シェルパが極度に疲労し、鄭さん用に余分に持っていた酸素ボンベを8600メートル地点に置き、二度と持とうとしなかったのだ。そのため、通常1時間2〜3リットルの酸素で頂上を目指すが、鄭さんは1時間1.5リットルで進まざるをえなくなった。余分な時間がかかり、体が動かなくなってしまった。

たった一人の山頂で

 すでに先に進んでいたメンバーらは登頂を果たし下山してきた。その部隊のシェルパに酸素の交換を頼んだが、みんなもキツいから、と断られ続けた。幸いにも最後尾のシェルパが酸素を余分に持っていた。満タンの酸素と取り替えているうちに、鄭さんのシェルパが先に登頂し戻ってきた。苦しそうな表情を浮かべていた。

 鄭さんはそこ(8820メートル)から一人で頂上をめざした。酸素を節約し、1時間1.5リットルで登った。

 たったひとり、頂上に立った鄭さんは、その瞬間を次のように記録した。

 「山頂にいま、立ちました。ひとりです。みんなの世界平和を…」(鄭さん自身が撮影した映像より)

 5月23日10時50分(日本時間14時5分)。鄭さんがチョモランマの頂に統一旗を掲げた瞬間だった。そして広く雄大な世界を望んだ。この瞬間のためにビデオカメラ、デジカメ2つ、使い捨てカメラを持参。頂上で3回、セルフタイマーで写真を撮ろうと試みるが、うまくいかない。時間をかけていると戻れない。鄭さんは反射的にそう判断しカメラを持った腕を前方に伸ばし、自分で撮った。

 登頂をめざした前後3日間で6時間しか眠れなかったという鄭さん。チョモランマのベースキャンプ(約5350メートル地点)を5月3日に訪れ激励し、登頂を支えてくれた在日本朝鮮人登山協会の金載英会長(56)をはじめとする同胞の理解と支援があり、チョモランマ遠征が実現したと感謝する。(李東浩記者)

 ※1 北米、南米、オーストラリア、アフリカ、ヨーロッパ、南極、アジアの最高峰。

 ※2 本来はネパールの高地民族の名称。荷物運びや道案内などヒマラヤ登山を支援する現地人ガイドの名称として使われている。

[朝鮮新報 2008.6.25]