〈朝鮮と日本の詩人-73-〉 石牟礼道子 |
朝鮮人の恨(ハン)を凝縮 第四度火傷炭化質という火傷には蛆もつかぬ ああ 長崎は石のたたみ 右は、全23連130行の長詩「はにかみの国−死にゆく朝の詩−」のうちの第19連と20連で、書かれたのは1974年である。 広島でも長崎でも多くの同胞が「六千度の熱」に焼かれた。 「全部」に「ちぇんぷ」、「原爆」に「げんぱく」とルビをふることで、また、「テンノヘイカシャマ」とかたかな表記で、無残に殺された朝鮮人の怨みを凝縮させている。 最終連では、白のチョゴリが灼熱地獄で「石の皮」になり、成仏できず故郷さえも忘却させられた無念を「アリランの花」で抽象しており、同胞の惨禍をえぐった作品として注目される。 ほかにも「菊とナガサキ−被爆朝鮮人の遺骨は黙したまま」(「朝日ジャーナル」68年8月11日号)という告発文もある。 石牟礼道子は1927年に天草に生まれ、水俣病問題に迫る作品「天の魚」「苦海浄土」ほかで知られる。 数多くある著作のうち詩集は「はにかみの国」02年石風社刊)一冊のみで、収録作品は全部で30編。(卞宰洙・文芸評論家) [朝鮮新報 2008.12.1] |