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〈本の紹介〉 柳宗悦と朝鮮

朝鮮を愛し続けた日本の良心

 本書は、日本人哲学者・柳宗悦と朝鮮との関わりを描いた人物評伝である。

 柳宗悦(1889〜1961)は日本民芸運動の創始者であり、日本民芸館の開設者・館長であった。彼は20歳のとき、神田の骨董店で初めて朝鮮白磁をみつけ、その芸術の優秀さと美に魅せられ、世を去る72歳までの生涯を、朝鮮を愛しつづけた日本の良心を代表する知識人といえる。

 柳宗悦が活動したころは、日本帝国主義者が朝鮮を植民地として朝鮮民族を抹殺するための弾圧と同化政策を推し進め、統治者はもちろん一般の日本国民の朝鮮・朝鮮人に対する偏見、差別、蔑みが社会全体を覆い、まさに朝鮮人にとって暗黒の時代であった。

 1919年、3.1朝鮮独立運動が起きると、日本の軍、警察は苛酷な弾圧を行い、無数の朝鮮人老若男女が血に染まった。当時の日本人の一般大衆、言論、知識人も日本の苛酷な暴虐を見て見ぬふりをして沈黙していた。「黙している事が一つの罪」だと憤激した柳は論文「朝鮮人を想う」を読売新聞(1919年5月20日号)に発表した。そこに書かれたのは、日本の侵略政策に対する痛烈な批判であった。

 本書の著者は、柳がなぜ、いつの時期から朝鮮に関心をもつようになったか、朝鮮の芸術品の優秀さをどのように認識していったか、朝鮮芸術品の魅力にのめり込んでいく過程を、家庭環境や朝鮮芸術に関心をもつ友人(イギリス人陶芸家リーチ、富本憲吉、浅川伯教・巧兄弟)たちとの関係を通じて詳しく説明してくれる。

 もともと柳は西洋哲学を学び、西洋芸術により関心が高かったが、次第に異常な讃嘆の情に満ちて東洋の芸術、思想、自分の故郷というべき東洋の心へ回帰した。柳が朝鮮の美術、東洋芸術に大きく舵を切ったのは朝鮮訪問にあったことを筆者は詳しく解説している。

 柳が最初の朝鮮訪問で最も驚嘆したのは石窟庵の仏像彫刻であった。著者は柳の感動を次のように表現する、「…李朝陶器の中に深い宗教性を認め、やがてついには仏教美学を創始したのも柳であった。いわんや、宗教そのものを具現した石窟庵の仏教彫刻が、最高・最善の芸術美として表現された時、どれほどの驚き、歓びの感情が柳の五臓六腑を突き動かしたであろうか」。

 柳が朝鮮に残した最も優れた業績の一つに「朝鮮民族美術館」の開設がある。柳は朝鮮農林試験所の技師であった浅川巧と共に情熱を傾けて、陶磁器、木工品、金工品、繊維類、紙工品等古美術品を収集して景福宮内に美術館を開設した。総督府は「民族」の二文字を削除すよう執拗に迫ったが、柳は「頑」とはねのけ「民族」の二文字を守りぬいた。

 この柳の「朝鮮民族美術館」設立は、日帝の「文化統治の一環として利用」されたのではないか、という議論があるが、著者は柳の思想と行動は「抑圧され、統治された側」に立って発せられたのであり、「文化統治の一環」という支配者側の論理に変質させることは許されないと、その理由を詳しく証明する。

 この本には、柳の残した文化遺産を将来の朝・日両国民の友好の光となることを願う、在日朝鮮人著者・韓永大氏の熱い思いが込められている。一読を薦めたい。(韓永大著、明石書店、3300円+税、TEL 03・5818・1171)(鄭晋和・歴史研究者)

[朝鮮新報 2008.11.7]