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〈朝鮮史から民族を考える 26〉 文化財返還問題

民族固有の文化的アイデンティティ

略奪文化財返還問題の視点

ユネスコ本部の建物(パリ)

 周知のように国際社会において、文化財現保有国(旧宗主国)と返還請求国(被植民地国)間では長年激しい論争がたたかわれてきた。文化財を「人類共通の遺産」と見るか「民族固有の遺産」と見るかという概念上の対立がまずある。保有国側が合法的取得や現在の所有権を主張するにとどまらず、文化国際主義や保存技術上の優位、博物館やコレクションの維持などさまざまな根拠を立てて返還要求に応じようとしない一方、請求国側はあくまで文化財取得と占有の不法性・非道徳性を主張し、民族固有の文化的アイデンティティの回復を強く訴えるかたちで返還を強く求めてきた。

 返還請求側の論理に比べ保有国側の主張はおおむね説得力に乏しいといえるが、現実的には現行国際法およびそれらの国内的履行措置の不整備や、搬出経緯の事実関係の不明瞭、いわゆる「善意の取得者」の問題が複雑に絡み、法的側面にのみ限られた議論では正当な文化財の原所有国への原状回復、十全な返還の実現は困難を極めるばかりである。以上のことをふまえるとき、文化財の返還問題は法的課題としてのみならず歴史的、政治的な問題として扱われねばならないということがわかる。

文化財返還にむけた国際社会の努力

「文化財及び文化協力に関する日韓協定」の最初案

 −国際条約および国連総会決議 戦後国際社会においては、54年ハーグ条約・議定書、70年ユネスコ条約、72年世界遺産条約、95年ユニドロワ条約など文化財保護・保存のための国際条約が締結されたが、これらには現在の国際法的装置としての略奪文化財の返還に関する国際法的な諸原則が反映されている。これらの条約を基礎にして、73年第28回国連総会ではザイール(現コンゴ民主共和国)のモブツ大統領の演説が決定的な刺激となり文化財に関する決議が相次いで採択される。すなわち「文化価値の保存と一層の発展」決議3148号と、文化財返還を正面からとりあげた国連初の決議である「美術品の収奪の犠牲になった国への返還」決議3187号であるが、後者においては植民地支配および外国の占領の結果としての文化財の流出問題が前面に押し出されたものとなった。

 −ユネスコの活動 74年ユネスコは第18回総会決議3428号を可決する。この決議は植民地または外国による占領の結果としての文化財の流出を嘆き、その原所有国への返還原則を確認し、70年ユネスコ条約批准および文化財返還のための二国間協定を促すといった内容で、これに基づきユネスコは文化財返還の理念と具体的な方法論の検討にとりかかる。78年にはダカールの専門会議にてユネスコは文化財返還のための原則的、実際的、方法的な問題をほぼ網羅した基本的見解をまとめ、ムボウ事務局長は「かけがえのない文化遺産を捜索者へ返還・回復するアピール」を発表する。こうした過程を経て、ユネスコ総会は、78年第2回総会にて「文化財の原所有国への返還または不法入手の場合におけるその回復を促進するための政府間委員会」を設立する。政府間委員会は70年ユネスコ条約とは無関係に、全ユネスコ加盟国、準加盟国の案件を取り扱うことができ、植民地時代にさかのぼることも可能である。

 −文化財返還の成功的事例 第2次大戦後、国際社会における成功的な文化財返還事例がいくつかある。たとえばオーストラリア博物館と太平洋諸島の国家間、ベルギーとザイール間、オランダとインドネシア間の返還事例がある。ほかにもフランス国立博物館とアジア諸国家博物館の間における文化財交流(相互寄贈)の事例や、原状回復訴訟を通じたエクアドルとイタリア政府間の事例、エチオピアとイタリア間の返還事例、などがある。

 −略奪文化財返還のための現実的方案 文化財の原所有国への原状回復、返還という国際法の原則は、今日ではすでに国際慣習法規則として確立されているが、現実的には当事国の国内的履行の実現まで待たねばならない。そのためには、当事国間の交渉、協定を通じた、法的障害となる要素を克服せしめる多角的な模索が必要となるだろう。キム・ヒョンマンは当事者間協定の締結のため根本的に考慮されるべき10の基本的枠組みをあげている(「文化財返還と国際法」01年9月)。ただし実際的にはさまざまな摩擦が不可避であるため、妥協的な解決方案を模索せざるをえない。その妥協的な返還方式案として、@条件付き返還、A同種、同質、同条件の物件交換、B一定期間交代しながら共有する制度、C長期貸与、などがあげられる。これらの方式は妥協的ではあるものの、実際においては、実質的な返還とみなされ、文化財返還の国際慣行上の原則を強化させるものとなりうる。

文化財返還における諸問題

 戦前の国際社会では、武力衝突時、軍事占領時の文化財の保護の問題はさまざまな条約、規則によって慣習化していた。とくに43年のロンドン宣言に基づきGHQの対日方針においても同様の履行措置が取られていた。しかしながら、GHQによる収奪品の調査、回収、返還の対象には朝鮮と「満州国」は含まれていなかったばかりか、在日朝鮮文化財の返還問題が意図的に阻まれていたことも最近になって明らかになっている。サンフランシスコ講和条約や「韓・日文化財協定」におけるきわめて不十分な内実と問題点の深刻さもあらためて検討されるべきである。

 現在の国交正常化交渉において朝鮮側は略奪文化財の全面返還を原則とする立場をとり続けている。03年に70年ユネスコ条約に加盟した以上、日本は、盗難など不法に搬出した文化財だという証拠があれば、それらを所有者に返還する義務がある。まずそのような文化財の所在と流入経路について徹底的に調査するなど、返還の前提となる条約の国内的履行のためのより具体的な措置を講じなければならないであろう。(康成銀、朝鮮大学校教授)

[朝鮮新報 2008.10.6]