〈本の紹介〉 光州の五月 |
民衆抗争の本質、緊迫の美で結晶化 作者宋基淑は、光州民衆抗争の当時、参与文学の権威ある作家であると同時に全南大学教授で、抗争に身を投じて「市民収拾委員会」の委員としてたたかい「内乱の首謀者」の一人として拘束された。1年の獄中生活の後に釈放されると抗争の記録を残すために「現代資料研究所」を設立して、たたかいの関係者たち700人から体験談を聴取し保管するという困難な作業をなしとげた。その膨大な資料と自らの闘争体験をもとに、抗争の全体像に迫る、400ページにわたる長編を書きあげた。光州民衆抗争をテーマにした小説を創作するには最適の作家たる所以である。 「光州の五月」はドキュメント的性格を有するフィクションであることもあって、全編に波打っているリアリティは作為を感じさせない。このリアリティは、作者のモチーフが、抗争の真実と意義とを正当性をもって現代史に位置づけようとするところに存するが故に、フィクションでありながらもそうとは覚えさせない、眞迫性にみちている。 本書には、光州民衆抗争の発端が民主化を求める平和的な示威であったこと、それを弾圧するために、米軍の指揮下にある全・盧一派が地域感情を煽ってジェノサイドに狂奔し、それに抵抗して学生・市民が武装蜂起したこと、コンミューンを組織して軍部独裁と旬余にわたって拮抗したこと、こうした事実が臨場感あふれる文学的散文で描出されている。とくに、たたかう人々の同志的交歓、抗争精神の発露、攻守団に対する敵愾心、銃をとった人々を助ける平凡な市民たちの勇気ある行動等々は、民衆抗争の人民的本質を、緊迫の美で結晶化しているといえる。 芸術作品としてのノベルという視点からアプローチするとき、この長編が極めて秀逸であることが納得できる。それは、市民軍組織の実像、酸鼻な攻守団の虐殺、拷問の生々しさ、極限状況に陥った人間の心理的分析等のディテール描写が卓抜であることからもわかる。さらに、類型的でなく生きた人間として形象化されている主人公の鄭燦宇とヒロイン美善が醸す清純な恋心と不条理な離別が紡ぎ出す硬質の抒情性の創出、この二人を巡る、それぞれが個性的な登場人物の複雑な人間関係の綾が、カットバックの援用による巧みなプロットとそれを彩るさまざまなエピソードの魅力で、物語の展開を追う小説的インタレストを堪能させてくれる。こうした創作技巧の冴えが、作者渾身の創造的意欲と相俟って、この長編を硬直した政治小説に堕せず芸術的思想小説に昇華させている。 作者は創作的決断をもって、溺死した攻守団の元将校と攻守団に凌辱されて自殺した美善の姉を天国挙式させている。これは和解のようであって、実は、未だに隠然たる影響力をもつ全・盧一派への糾問にほかならない。この「和解」という方法で罪を問うのとは対蹠的に、鄭燦宇は復讐の手榴弾と拳銃を隠しもち、生き残った抗争の指導者の一人金重万が攻守団の元幹部を撲殺して自らも斃れるところで小説は結ばれている。これは、光州民衆抗争は終っていないということのメタフォーである。光州の英雄的抗争が終る、つまり勝利するのは祖国統一が成ったその時であるという作者の秘められた作意を、評者は読みとることができた。 こなれた日本語の訳文もすぐれており、一人でも多くの人々に読んでほしい、韓国現代文学の力作として推賞したい。(宋基淑 著、金松伊 訳、藤原書店、3600円+税、TEL 03・5272・0301)(辛英尚・文芸評論家) [朝鮮新報 2008.9.5] |