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〈朝鮮と日本の詩人-65-〉 仁科理

もっと自由で、もっと激しい怒り

 (冒頭から29行略)

 たとえば一九二三年九月一日の悲しみが/埼玉県児玉郡上里村という寒村で、一九五二年のある日、/「関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊祭」という一つの塔になったからといって、/人間の良心がかえってきたわけではないんだよ。/碑の裏には、/「大正十二年関東大震災に際し朝鮮人が/動乱を起したとの流言により東京方面から/送られて来た数十名の人々がこの地において悲惨な最後を遂げた」/と彫られた言葉は石よりも冷たく、/〈死〉は屈辱の重さで眠っているさ。(13行略)ああ ぼくはおまえのためにうたってあげよう。/不逞鮮人の〈死〉よ! 社会主義者の〈死〉よ! 撲殺・銃殺・扼殺・絞殺・薬殺・虐殺!/流言飛語の〈死〉よ! 死のない〈死〉よ! 〈言葉〉が〈ことば〉にならない〈死〉よ!/〈死〉はもっと自由で、もっと激しい怒りなんだということを。/〈死〉は悲しむものではないというと、/おまえはチロや青タンのために、あたたかい泪をおとすのだね。

 この詩「一歳になった娘に話す童話」は、飼い犬の「チロ」とカナリヤの「青タン」を可愛がっていた愛娘に親である詩人が語りかけるという形式の物語詩で、関東大震災における朝鮮人虐殺を主題にしている。無残に殺された朝鮮人の〈死〉が「屈辱の重さで眠っている」「流言飛語の〈死〉よ! 死のない〈死〉よ!」という激烈な表現は、日帝の無道を鋭く指弾している。さらに〈死〉が「もっと自由で、もっと激しい怒りなんだ」という詩行は殺された人たちの命の尊さと無念の思いを如実にいい表わしている。関東大震災を主題にした詩には、すでに本欄で壷井繁治と萩原朔太郎のを紹介したが、この詩はいたいけない一歳の幼児に語るという形式をとることで、犠牲者たちの怨みの〈死〉は悲しむものではなく、復讐につながる憤怒であることを暗示している。

 仁科理は1937年に佐賀県に生まれ国学院大学を卒業後、詩誌「紋章」「木偶」の同人として詩作をつづけ主に社会的テーマの作品を残した。この詩は「戦後詩体系V」(70年、三一書房刊)からとった。(卞宰洙・文芸評論家)

※仁科理(にしなおさむ)

[朝鮮新報 2008.9.1]