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〈本の紹介〉 日本における多文化共生とは何か

より深刻な人間性蹂躙の今

 日立就職差別裁判闘争(以下日立闘争)の勝利から34年−。本書は、グローバリズムと新自由主義のなかで、変質する「共生」の概念をこの闘いを長年担い、支援してきた人々が「個の位置から」問い直した意欲作である。

 日立闘争は、1970年、日立の入社試験において本名の欄に日本名を記し、本籍地に現住所を記した在日朝鮮人2世の朴鍾碩青年が、「嘘をついた」ということで採用が取り消され、そのことを不服として日立を相手に提訴し、4年にわたる裁判闘争で勝利した闘争である。

 このときの判決は、日立は民族差別に基づく不当解雇をしたと日立側を全面的に問責しながら、日本社会にはびこる民族差別について次のように厳しく指弾している。

 「…在日朝鮮人に対する就職差別、これに伴う経済的貧困、在日朝鮮人の生活苦を原因とする日本人の蔑視感覚は、在日朝鮮人の多数から真面目に生活する希望を奪い去り、時には人格の破壊にまで導いている現在にあって、在日朝鮮人が人間性を回復するためには、朝鮮人の名前をもち朝鮮人らしく振舞い、朝鮮の歴史を尊び、朝鮮民族として誇りをもって生きていくほかにみちがないのであることを悟った旨、その心境を表明していることが認められるから、民族的差別による原告の精神的苦痛に対しては、同情に余りあるといわなければならない」と。

 あれから40年近い歳月が流れた。しかし、日本では相も変わらず同化と差別がはびこり、政治、経済、言論界など社会の隅々に差別的、閉鎖的、排外主義的な言質が跋扈している。しかも、より深刻な問題を呈しているのは、世界的な新自由主義(ネオ・リベラリズム=ネオリベ)の席巻やグローバリズムの拡大のなかで、企業・行政はネオリベ路線に沿って、利潤を求める競争や効率を最優先させ、地域住民や労働者らに犠牲を強いて、人間性を踏みにじる状況であろう。

 そうした今日的な問題意識を持ちながら、いまや政財界もこぞって唱えるようになった「共生」とは何かを、フェミニズムの立場から論じた上野千鶴子・東大教授の論考、「共生の街」川崎を問う崔勝久氏の問題提起など、読み応えのある論考が並ぶ一冊。とりわけ、上野氏が外国人の「参加」や「参画」「多文化共生」ということにもそれが使われる文脈次第で異なる意味が生まれると指摘、「そういった言葉自体になにかの意味が本質的にあるわけではなく、それがどのような文脈においてどのように使用、流用、盗用、動員されるのかという可能性にいつも注意深くなければならない」と警鐘を鳴らしていることに頷く。(朴鐘碩・上野千鶴子ほか、新曜社、TEL 03・3264・4973、2200円+税)(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2008.8.4]