〈朝鮮の風物−その原風景 −12−〉 タルノリ(仮面戯) |
奔放無尽の造形、強烈な風刺性 タルノリとよばれる朝鮮の仮面戯は、近隣諸国のそれと比べてみても大変個性的な民俗芸能として知られる。 タルノリの歴史は古代まで遡るといわれるが、資料が乏しく全体像はとらえにくい。文献によれば三国時代以来、歴代王朝はタルノリを宮廷の儀礼行事として継承してきたが、18世紀に至って国家的行事としてはそれを廃止したという。しかし、タルノリの全盛期はむしろこれを期にはじまったようだ。 タルノリの個性的な特徴はなにか。 それはまず、仮面の造形がとてもユニークなことが挙げられる。 確かに仮面の造形は、奔放無尽とよぶにふさわしく、その型破りな奇抜さは常人の想像を超えるものがある。左右がシンメトリー(均衡)な面はむしろまれで、鼻や口、目の釣り合いがとれないものや、極端に曲がったもの、顔中こぶ、あばただらけのものも少なくない。そのデフォルメはどこか人を食った感があり、美術的見地から見ても諸隣国の仮面造形に劣るところがない。 つぎに挙げられる特徴は、土俗的で人間臭い点だろう。タルノリには下ネタが豊富で、お尻を露出したり、観衆を巻き込み卑猥な動作でからかったり、女性の放尿場面を演じたりするなど、卑俗ともいえる人間臭い演技が少なくない。これはタルノリが両班支配層の尊大ぶった感性とは一線を画した、下層民衆の解放的な情緒感をともに呼吸をしていることの反映とみることができる。 つぎにタルノリの個性的な特徴として、強烈な風刺性を挙げねばならない。 庶民感覚を素地としてこそ、タルノリの支配階級への旺盛な批判精神はさらに強烈に増幅され、輝きを増すこととなる。広大(芸人)の風刺精神は時と場所を選ばず、例え王宮公演においてもひるむところがなかった。 例えば孔潔とよばれる広大が、暴君で知られる燕山君の前で、すぐれた臣下に出会うことはたやすいが、秀でた君主を戴くのはむずかしい、との趣旨を述べて王の怒りを買い流配に処されたという逸話は有名だ。ちなみに、タルノリに登場する両班やそれにへつらう輩の仮面ほど、目鼻や口がひん曲がったり、あばたで顔の原型が崩れたものが多いが、これは決して偶然なことではない。 タルノリの特徴としていま一つ見逃すことのできないのが、エンターテイメントな属性だろう。踊りと歌、才談(漫才的なことばのやりとり)で構成されるタルノリは、劇としての構成はあるが、多分に即興的な変化を取り込み展開していく。劇の進行が前後にずれても無頓着にかわすしたたかさや、劇中に造作もなく観客を引き入れて笑いをとるなど、自由闊達、変幻自在に演技者と観衆の垣根をとり払っていく。そのすべてにおいて核をなすのは笑いとダイナミックな踊りである。 タルノリのこうした特徴、わけても人間臭い庶民的感性と鋭い風刺性は、朝鮮朝後半に国家行事から解き放たれ、民衆の中に居所を移したことと重要に関わっている。 こうしたタルノリの特徴を、例えば日本の代表的な仮面戯である能の静的で幽玄な様式美と対比してみると、その違いがよく理解できる。(文と絵 洪永佑) [朝鮮新報 2008.7.25] |