〈朝鮮と日本の詩人-61-〉 信夫澄子 |
君ら一筋に自由な祖国へ 祖国朝鮮へ帰る その姿 〈見送りにきました〉 知る顔なけれど きみらの親を仲間を虐殺した この国に 別れを惜しむことがあろうか 平壤駅の柵ひえびえと ありし日の 日本軍隊の威嚇忘れず 行くきみら見送るわれら 国と国 闘う歴史を生きぬいてきて 人民旗さざめく 品川駅を発つ きみら一すじに自由な祖国へ 南北のよりあう日をば信じつつ〈みのらせてよ 南のあの青い林檎も〉 はるけく海をへだてる この別れ 言葉はひとつ ああインターナショナル 常務服きりりと国鉄労働者が きみらを運ぶよ シグナルは青 右は「祖国へ帰るきみら−1959年12月・品川駅−」と題された9首である。帰国する在日同胞を見送る日本の女流歌人の、短歌的抒情を拒否した凛たる三十一文字は、国際主義精神につらぬかれている。第2首と第3首は、この歌人の日帝への告発を感知させてくれる。第4首は在日を強いられた1世の苦難の人生を象徴している。つぎの第5首は朝鮮人民の民族解放闘争への共感がテーマである。第7首は、日本人として隣国の南北統一を願う希望がこもっている。最後の2首は朝・日の連帯をうたいこんでいる。9首に通底するモチーフは、在日朝鮮人を媒体とする朝・日両国間の親善の心情である。 信夫澄子は1916年に東京で生まれ30年頃から歌を詠み始めた。碩学の政治史学者と結婚した後一時筆を折ったが、42年にアララギに入会して作歌を再開した。戦後に「新日本文学会」の会員となり京浜地帯の労働者たちと詩歌サークル誌「風祭」を発行し、社会派の歌人として注目されるようになった。この9首は歌集「風蔡」(1989年、短歌新聞社刊)に収められている。(卞宰洙・文芸評論家) [朝鮮新報 2008.7.14] |