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〈検証 李明博政権の対北政策 -上-〉 「吸収統一」路線への回帰

「非核、開放、3000」 北南首脳合意と両立せず

 今年2月に誕生した南の李明博政権は、6.15共同宣言、10.4宣言を棚上げし、かつての「吸収統一」路線と本質的に変わらない「非核、開放、3000」政策を掲げた。以後、当局間対話は断絶し、細々と行われてきた民間交流や経済協力も途絶えようとしている。12日、北側は12月1日から軍事境界線を通じたすべての陸路通行を厳格に制限する重大措置を断行すると南側に通告した。北南関係を極度の緊張状態に追いやった李政権の対北政策を2回にわたって検証する。

「失われた10年」

6.15共同宣言と10.4宣言の尊重、履行を求める南の市民たち(写真は韓国進歩連帯の10.4宣言発表1周年記念記者会見) [写真=統一ニュース]

 周知のように、李政権は「非核、開放、3000」を対北政策として掲げた。北の「核の完全放棄」を最優先課題として解決し、北を「改革・開放」した後、10年以内に北の1人当たりの所得を3000ドルに引き上げるというものだ。「南が北を一方的に助けるという構図が解消」(統一部次官、6月20日)されるとしている。

 しかし実態は異なる。米国の対朝鮮敵視政策に追従したもので、二度の北南首脳会談で確認された合意とは完全に相反するものだ。

 10年ぶりに南で権力の座に着いた右翼保守勢力=李政権は、金大中、盧武鉉政権の10年を「失われた10年」と冒涜し、それ以前の金泳三文民独裁時代に時計の針を戻すことを目ざした。つまり「吸収統一」路線への復帰であり、自主統一と平和繁栄の活路を開いた6.15時代の否定である。

 事実、李政権になってから6.15以後北南間で合意された事項はどれひとつとして履行されず、90年代末から行われてきた金剛山観光事業さえも中断に追い込まれた。

 これに対して、北はむろん南内部からも批判が噴出するや、李政権は、対北政策の名称を「相生(共存)、共栄」へと変えたが(7月31日)、まさに呼び方を変更しただけで「非核、開放、3000」は取り下げなかった。対北政策樹立に関与した当事者自身も「『相生、共栄』は『非核、開放、3000』に帽子をかぶせたもの」(統一研究院院長)だと、公言している。

 北側は、これまで李政権に対し、北南合意書などと同列視してきた6.15共同宣言と10.4宣言に対する立場を明確にするよう重ねて要求してきた。しかし「6.15と10.4を否定したことはない」と弁明を繰り返すばかりだ。

 6.15共同宣言、10.4宣言と「非核、開放、3000」は両立しえない。「依然として言葉あそびの水準を抜け出ていない」(京郷新聞11月6日付)と批判の声があがっているのも当然だ。

「本質は武力支配」

 夏以降、南朝鮮軍部と米軍は、北の「急変事態」に備えた「作戦計画5029」を補充、完成させ、それに基づいた合同軍事演習を実施した。

 とくに、10月30日から11月8日まで行われた「護国訓練」は、北への上陸作戦に力点をおいた史上最大規模の演習だった。精鋭の駐沖縄海兵隊など在日米軍兵力が投入された事実に、その危険性が露わになっている。

 「5029」は「内戦」や「難民発生」など、戦争以外の軍事作戦に関する概念計画として99年に作成された。

 盧武鉉政権時代、米軍はその軍事作戦化を執ように提起してきたが、南側は「北を刺激する恐れがある」として棚上げしてきた。

 ところが、李政権は立場を一変させたのだ。南朝鮮軍部は、率先して公然と北の「急変事態」について言及しはじめ、国防部長官は国会で「概念計画であれ、作戦計画であれ、(北の)いかなる状況にも対処できるように備えるべき」だと公然と語るまでになった。

 また10月、ワシントンで行われた南朝鮮と米国による「年例安保協議会」では、北の「急変事態」に備え、朝鮮半島有事の際の米増援武力の迅速な投入などを協議し共同声明を発表した。

 「李明博政権の反北対決策動の本質は、われわれを武力で支配しようという北侵戦争騒動」(労働新聞10月25日付)であることがわかる。

[朝鮮新報 2008.11.14]