〈月間平壌レポート -08年9月-〉 建国60年の歩みをかみ締める |
在日同胞も市民らとともに 【平壌発=鄭茂憲記者】9月に入ってからの平壌は、建国60周年を迎える「お祭り」ムード一色となった。 といっても日本でのような「お祭り」雰囲気ではなく、1948年の建国からの歩みを真しに見つめ直すといった趣だ。国内各紙には連日、建国60周年にちなんだ特集記事が掲載された。 同時に、市中心部の道路沿いには国旗と党旗がはためき、夜には主要建造物がライトアップされた。「100万ドルの夜景」とは違った、レトロで幻想的な夜の街並みを作り出していた。 3日間の建国行事
8〜10日の3日間にかけて建国60周年記念行事が行われた。数々の行事の中で参加者たちの注目を集めたのは、労農赤衛隊閲兵式と青少年たちによるたいまつ夜会だった。 労農赤衛隊とは、正規軍ではなく民間兵力だ。9日、午後5時に始まった閲兵式の開幕演説では、労農赤衛隊による行進は「全民武装化方針の正当性と生活力」を示すものだと強調した。 朝鮮で言われる「全民武装化」というスローガンは、決して他国への武力侵攻を意味するものではない。国の自主権を守るための「盾」である。 1950年に勃発した朝鮮戦争は、いまだに終わっていない。1953年に米国との間に交わされた協定は「停戦」であって平和協定ではない。この間、朝米関係が急激に悪化したり、チーム・スピリットなどの北侵軍事演習に対抗して「準戦時体制」が宣布されたことがあるだけに、戦争に備えるということが朝鮮では違和感なく話される。 市民たちに話を聞いても、「朝鮮は決してイラクのようにはならない」という言葉をよく耳にする。列強たちの思いのままにならないためにも、朝鮮には強力な軍事力が欠かせないという認識だ。 そのため民間兵力による閲兵式が、全民武装化を文字通り体現したものとして、市民たちの温かい歓迎を受けることになるわけだ。 一方、参加者たちに新たな感動を与えたのが、たいまつ夜会だった。建国55周年を迎えた2003年にも同様の行事が行われたが、当時はたいまつ行進で、今回は夜会。よりグレードアップした形だ。 建国60周年を迎えたこんにちの朝鮮を象徴するフレーズなどが、金日成広場全体に広がるたいまつの明かりで描き出されるたびに、観客席からは歓声があがった。芸術的な「光景」を観ながら、みなが、「今回はすごい」と感嘆していた。 500人の在日同胞 「こんなのは、朝鮮でしか見られない」。3日間の建国行事に参加した在日同胞たちの多くが、この言葉を口にした。 9月9日の国慶節を前後して、朝鮮を訪問した在日同胞は500人を超えた。近年では最大規模だ。 在日同胞の「御用達ホテル」としても知られる平壌ホテルは、「超」がつくほどの満員状態。9日の夜には、平壌ホテルの宴会場で、在日同胞たちのために国慶節記念宴会が催され、会場は同胞たちの笑顔に包まれた。 ある1世のハルモニは、建国から60年、その間の朝鮮国内、在日同胞社会の歩みを感慨深く振り返っていた。艱難辛苦の連続だった植民地時代を生きた彼女は、祖国が解放され、日本でも朝鮮人として堂々と生きられる喜びは言葉では表現できないと話した。そして「若い人たちが、これからも祖国の繁栄のために働いてくれることを願うばかりだ」と語っていた。 一方、在日同胞を迎える側である平壌ホテルのスタッフたちは、日本の不当な「経済制裁」によって、「万景峰92」号の往来がストップしているにもかかわらず、祖国を訪れる同胞たちが誇らしいとうれしさをにじませていた。 日本の政局に関心 1日夜、日本の首相が突如辞任した。二政権続けての「途中退場」に平壌市民たちも驚いていた。 平壌市民の日本の問題に対する関心は高い。 それは、朝・日関係もさることながら、在日同胞社会に何か影響を与えるのではないかと心配になるからだ。 ある知り合いからは、「次はやはり麻生か」という質問をひんぱんに受けた。朝・日問題に関する彼らの関心は、「万景峰92」号は動くのか、に集約されていると言ってもいい。 朝鮮国内では、日本の「経済制裁」は自国の経済を揺るがすものではなく、在日同胞を弾圧するものだと認識されている。 だから、「在日同胞たちが祖国を往来するための船が行き来できないことに憤りを覚える」と必ず口にする。 [朝鮮新報 2008.9.24] |