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〈虫よもやま話-6-〉 標本の大切さ

 「残酷なことを平気でするんですね! それでも虫を愛する人なんですか?」−ある日、虫を見つけては私に知らせてくれる初級部の児童がこう言いました。

 私の研究の最も大切な作業の一つが、採集した昆虫をその場で毒ビンに入れて仕留め、標本にするという作業です。この「驚愕の事実」を知り、その生徒は愕然としたようです。

虫とラベル

 私の研究室には120万点以上の標本が所蔵されていますが、その中には今から半世紀以上も前の標本も数多く含まれています。

 標本には必ずラベルがあり、そこには採集者名、採集地、日付が記載されています。このラベルなしでは、標本の価値はほぼないと言っても過言ではありません。採集した昆虫にラベルが付いた瞬間、それはわれわれ人類の遺産が一つ増えた瞬間だと私は考えています。その標本からたくさんの新たな知見が生まれ、また有用な情報を得ることができるのです。

 たとえば標本を調べてみると、同じ採集地にも関わらず、現在ではめったに採れない昆虫類が50年前にたくさん採れていたりします。その事実から、どうして今では採れないのかを調べてみると、トンネルやダムの建設、農薬使用時期やそれらによる植生の変化などたくさんの理由を知ることができます。またその逆に、近年多く採集されるようになった昆虫類などは外来種として考えられます。

 このように標本は、環境の変化による生物への影響や昆虫相の変化を教えてくれる貴重な証拠であり、「語り部」なのです。だから私たちは、昆虫を採集しては標本にし、大切に保管するのです。そして、確かに犠牲はありますが、より多くの生き物を保護できると信じています。

 この前、研究室の先輩が私に小さな標本を見せてくれました。ラベルには「金剛山・1926年」と記載されていました。植民地時代に、たくさんの昆虫研究者が白頭山をはじめわが国のあらゆる場所で採集を行い、多くの標本を持ち帰ったのです。この時、私は明らかに研究室の誰よりもこの小さな標本からあまりにも多くのことを「聞き取り」ました。

 そして固く決心しました。必ずやこの標本が語る「恨」を、私が責任を持って一つ残らず全て清算させてみせると。

 標本の大切さ、わかっていただけたでしょうか?(韓昌道、愛媛大学大学院博士課程)

[朝鮮新報 2008.6.27]