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西大阪初級創立40周年記念式典 「地域の活性化」「多民族共生を」

朝鮮学校を支える同胞、日本市民たち

 西大阪朝鮮初級学校創立40周年記念式典が4月27日、同校で行われ700余人が参加した。会場には地域の活性化のために奔走した実行委員会の面々とともに、日ごろから同校を支える日本人士らの姿があった。

全機関、全同胞が力を合わせ

西大阪初級を支える日本市民たち

 昨年11月に発足した創立40周年記念事業実行委員会は、卒業生、地域同胞らをまとめるために力を傾けてきた。

 同校父母会と総連の各機関、分会は地域の同胞らに呼びかけ、広告運動を展開、目標を超える広告を集めた。今後、学校施設を補修し、新しいコンピュータ5台を購入する。

 実行委員会の金輝龍委員長(53)は、さまざまな事業を通じた記念行事のテーマは「地域の活性化にあった」と語る。

 卒業生らの連携強化のため20年前に結成された連合同窓会では、昨年2月に「学父母、卒業生親睦交流会」を開催し、学校施設の修理、補修作業を行った。

 さらに同年5月には「学父母、卒業生親睦交流ゴルフ」、8月には「創立40周年記念チャリティーコンサートと落語会」、11月には「創立40周年記念チャリティーゴルフ」などの行事を催した。

 一方、教育会では「創立40周年記念西大阪ワイン」を1年間、地道に販売した。

 金委員長は、日本市民の支援団体と力を合わせ地域同胞社会の中心である西大阪初級を守っていきたいと力強く話した。

「アプロハムケ」代表のきっかけ

大阪朝鮮歌舞団による歌と舞踊で会場の熱気は最高潮となった

 2004年の対外公開授業主催を機に、翌年7月に結成された「西大阪朝鮮初級学校アプロハムケ」は、創立記念式典に向けて会員一人1000円ずつ100人分を集め、当日に配られた創立40周年記念広告集に広告を掲載した。また、同校炊事場の修理も行った。

 日本人の偏見をなくし理解を深めていくためには、民族教育の現場を見る機会をさまざまな人たちに提供していくことが肝要であると「アプロハムケ」の有元幹明代表(72)は話す。

 「式典前に行われた公開授業をみた私の知り合いは、実に感激していた。われわれが民族教育を支えることは、せめてもの罪滅ぼしだ」と語る。

 幼児期の体験が現在の活動につながったという有元代表は、式典会場で皇民化教育をうけた少年時代を振り返っていた。

 「朝鮮、中国人は見下して当たり前という教育を受けていた。戦前は朝鮮人を殴っても反撃されなかった。しかし戦後は殴り返された。そのとき初めて過ちに気づいた。日本人として、どのようにして謝ろうかという部分が現在の活動に至った私の原点」(有元代表)

 そして「日本政府は対立をあおるような朝鮮政策をやめて国交を結ぶべき。なによりも日朝平壌宣言を履行すべきだ」と指摘した。

さまざまな層が集う「1%の会」

 「アプロハムケ」を通じ、結成1年目に鉄棒を、2年目の昨年には遮光幕を寄贈し、3年目の今年は記念式典の日にコンピュータ購入資金として30万円を寄付した「1%の底力で朝鮮学校の民族教育を支援する会」。寄贈品はすべて会員らの給料の1%を集めたものだ。

 アルミ缶を集め野宿生活を続ける日雇い労働者、教員、学生など会員の職業は多種多様だ。全員が朝鮮学校を支えるために集った人々だ。「同情でやっているのではない。過去の歴史問題、多民族共生のために朝鮮の人々と向き合う。身銭を切る形で民族教育を守り朝鮮学校の処遇問題を訴えたい。われわれの活動はとりわけ、未来に向けた投資である」と、ある会員は話す。

 事務局の伊関要さんによると、2年前の結成から会員数は約50人と横ばい状態。山橋宏和事務局長は「(会を)辞めていく人はいない。会員をもう少し増やしたい」という。また「朝鮮学校は生徒、先生、親の3者の関係がほんとうに良い。これは日本の教育界もぜひ学ぶべき点だ」と太鼓判を押していた。

 伊関さんが「足腰の部分」だと指摘する野宿者、伊東一夫さんも会員のひとり。あいりん地区(釜ヶ崎、JR新今宮駅南にある日雇い労働者の就労場所)における在日朝鮮人との出会いについて、伊東さんは熱く語る。

 「在日朝鮮人の解放直後の決起はものすごかった。われわれにとって朝鮮人労働者との連帯はスローガンだった」

 会の結成当初から活動に参加している原民樹さん(22、立命館大学聴講生)は、「在日朝鮮人のことを知らない若い日本人に朝鮮学校の写真展、映画上映などを通じ真の姿を伝えたい。そして『大変さを知るよりも動こう』と訴えていきたい」と目を輝かせていた。(李東浩記者)

[朝鮮新報 2008.5.12]