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〈青少年読書感想文全国コンクール横浜地区〉 「ナヌムの家のハルモニたち」を読んで 神奈川中高・中3 李美玲

今も苦しむハルモニ想う

 「従軍慰安婦」。私は、中学2年の社会の授業で、初めてこの言葉を聞きました。

 「慰安婦」とは、第2次世界大戦中、日本の植民地下にあったアジアの女性たちが、強制的に連行され、日本軍を相手に、性的暴行を受けてきた人々だと学びました。その時は、そんなことがあったのか、戦後、その人たちはどうなったのかくらいにしか考えていませんでした。

 ところが、最近、韓国で初めて金学順という人が、自ら元日本軍「慰安婦」であったことを名乗り出て、それから多くの朝鮮人の女性たちが「慰安婦」だったことを名乗り始めました。そこで、学校の図書室から元「慰安婦」の日々の生活を描いた「ナヌムの家のハルモニたち」を借りて読むことにしました。



 「ナヌム」というのは、朝鮮語で「分かち」という意味であり、仏教の布施の精神「慈悲の施し、分かち合い」を意味します。また「ハルモニ」とは、「祖母、おばあちゃん」を意味する言葉です。

 かつて、日本軍「慰安婦」だった彼女たちは、現在は年老いたハルモニです。ハルモニたちは、「ナヌムの家」で、これまで味わってきた文字通り苦痛を分かち合い、日々の楽しさ、喜びやうれしさ、そのほか、いろいろなものを同じ屋根の下で分かち合っています。

 この本は、そんなハルモニたちの飾り気のない日々の暮らしを、一緒に暮らしているスニム(お坊さん)が書いた本です。

 ハルモニ同士の口げんか、スニムとハルモニの会話…それは普通の老人と若者の、どこにでもあるような話で、時におかしく、笑ってしまうこともありました。

 ところが、ハルモニたちの言葉や行動には、死ぬまで治らない過去に背負った傷が隠れていました。

 あるハルモニは、朝鮮で昔から履かれているコムシンというゴム製の靴をお土産に持ってきてくれた人をものすごい剣幕で怒り、返してこう言いました。

 それは、このハルモニが昔、父親にコムシンを買ってもらった翌日に、日本軍に強制連行され、「慰安婦」生活をおくる羽目になったからです。

 ハルモニたちは、被害者でありながら何十年も人目をはばかって生きてきました。花盛りの青春時代を「慰安婦」として、異国で日本軍相手に性的暴行を受けて過ごしました。どれほど恐ろしく、屈辱的だったことでしょう。万一逃げ出そうとすれば連れ戻され、さらにひどい暴行を加えられるか、殺されてしまいました。

 戦争が終わっても「慰安婦」のハルモニほんとんどが、結婚もせず、子どもも産めず、ただじっと陰の中で時がすぎるのを待っていました。体に受けた傷、心に受けた傷をじっと自分の中にしまって堪え忍んでいるハルモニたち。

 私は、本を読んでいくうちに怒り、悲しみ、悔しさを覚えました。何よりも同じ民族、同じ女性として激しい憤りを感じました。

 今も苦しみ続けているハルモニたちに対して「お金をもらうためになった」などという、一部の政治家や、著名人もいます。

 さらに日本政府は、学校で扱う教科書でさえ「日本軍慰安婦」の記述を削除し、まるでこの事実がなかったようにしています。

 日本政府は、私たち朝鮮人に謝罪しなければならないことがたくさんあるはずです。

 今や、元「従軍慰安婦」の方々も高齢になり、中にはすでに亡くなられた方もたくさんいます。また、戦争を知らない世代が多く、戦争の被害者、加害者も少なくなり、この責任を追及するのも難しいことです。

 しかし、事実をしっかりと後世に伝えていくことが「謝罪」であると私は思います。

 今の世代の人々に事実を伝え、二度と同じ悲劇が起きないようにすることが、本当に今しなければならないことではないでしょうか。

 そして、若い世代の私たちが、過去をしっかり受け止め、これからは朝鮮と日本がいろいろなことを「ナヌム」できるようになればいいと思います。

 そして、「ナヌムの家」のハルモニたちに限らず、すべての元「従軍慰安婦」の方々が、隠れず堂々と生きていけるようになることを心から願います。

[朝鮮新報 2008.3.7]