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〈解説〉 今回の日弁連勧告について

 今回の勧告は1998年の日弁連勧告(日弁連総第99号1998年2月20日)に続いて、朝鮮学校等への制度的差別の是正を強く求めたものである。

 1998年勧告は、朝鮮学校の卒業生には各義務教育課程、高等学校教育、大学に相当する教育を授受しているにもかかわらず上級学校の入学試験や資格試験を受けることを認めないことや、一般の学校(一条校)と比べ助成制度において甚だしい不平等があることを重大な人権侵害としてその是正処置を求め、さらに朝鮮学校は各種学校としての地位すら与える意義はないとした1965年文部事務次官通達の撤回と被害回復処置を求めたものであった。

 その勧告以来、10年の歳月が流れたが、この間、大学受験資格問題ではほぼ全ての国立大学が受験の門戸を開くこととなり、国家資格の受験資格においても朝大の在学生に税理士や保育士の受験資格が認められることになり、社労士試験も朝大卒業生の受験資格が認められるところとなった。

 また、1965年通達は国連の自由権規約委員会の日本政府報告書審議(1998年)においても委員から「まったく差別的」と批判を受けるところとなり、政府は、地方分権を『理由』に「現在は効力を失っている」(「参議院議員福島瑞穂君提出国際人権規約委員会「最終見解」についての実施状況に関する質問に対する答弁書」2000年8月25日)と表明せざるをえなくなった。これらは街頭宣伝や署名運動、行政交渉や議員への働きかけ、さらには国連機関への働きかけなど、多くの汗を流し、声をからして訴えてきた同胞たちと心ある日本の市民たちの活動による成果であることはいうまでもない。

 とくに03年、インターナショナルスクール卒業生にのみ受験資格を与えようとした日本政府に対する抗議行動は、その後の流れに大きな影響をあたえることとなった。

 しかし、この間、日本政府は我々の声に抗いきれなくなるかたちで一部改善措置を講じてはきたものの、その「思想」を根本的に変えようとはしなかった。

 受験資格問題においては他の外国人学校と区別し、朝高卒業生のみ日本政府としては受験資格を認めず、大学の判断に委ねる形をとった(同年9月法令改定。それまでは大学判断で受験を認めることも駄目だとしてきた)。

 さらには日本への投資促進効果など経済的にメリットがあるとして、外国人学校の中でもインターナショナルスクールにのみ公益性を認め優遇するといったやり方が受験資格問題においては完全に否定され、再検討を余儀なくされたにもかかわらず、同じ論法をもってインターナショナルスクールにのみ寄付金税制における優遇措置を日本の私立学校と同様に与えるという措置を同年に強行したのである。

 これらのことは、1965年通達に象徴される日本に定住する朝鮮人たちは日本人になりきるべきで、自らの民族性など保持してはならない、それは日本の公益にはなりえないという排外思想が、また欧米に媚び、アジアに横柄である脱亜入欧思想が、そして植民地時代の同化政策が日本の執権層の中に未だに根深く残っていることを雄弁に物語っている。

 今回の勧告は1998年以降の状況変化の中、新たに浮上した問題点を取り上げ、その是正を強く促したものである。同時に、すでに勧告した助成金差別が未だ改善されていないことを再度指摘し、これらの問題は、結果として朝鮮学校や中華学校に「通い又は通おうとする生徒の学習権を侵害することとなるものである」と厳しく指弾したものである。

 約2年間をかけ綿密な調査と検討を重ねた結論として出されたこの日弁連勧告のもつ意味は重く、その意義は大きい。日本政府は自らの尊厳のためにも一日も早くその時代錯誤的な「思想」を改めるべきである。そして、勧告にしたがった是正措置を速やかに講じるべきである。(金東鶴、在日本朝鮮人人権協会事務局長)

[朝鮮新報 2008.3.31]