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〈論考I〉 学生交流と国際政治

朝・日学生交流が引き出す力

 近年、活発に行われるようになった朝鮮大学校学生と日本の大学生との学生交流。先日、朝鮮大学校で行われた朝・日大学生の共同イベントには2500人以上が参加した。そもそも学生交流にはどのような意義があり、可能性があるのか。筆者自身の実体験、専攻する「国際政治」との関連性からその可能性を探ってみたい。

生きた国際体験

2500人以上の朝・日の学生が参加して交流を深めたフレンドシップフェスタ(9日)

 「国際政治」とは、主権国家を基本単位とした国際社会における国家間の政治をいう。政府や外交官、国際機関がアクターとして登場する国際政治の場と学生交流との間には大きな隔たりがあると思っていたが、2002年に始まった朝大政経学部と、ある日本の大学との交流を通し、その考え方が変わった。その後交流は発展し、今年で6年目を迎えた。

 この過程で、国家間の関係が悪化した状況の中でも、社会の制約を受けず、好奇心旺盛で、何事にも純粋な学生同士の交流は、どんどん繋がり、拡がっていくものだと確信した。

 事実、交流の輪は、ドイツの学生の朝大訪問、日本の大学生の平壌訪問(大学生交流)と拡がりを見せた。

 交流を通じて、学生たちは互いを知り、意見を交わし、意見の違い、その意見の違いの背景にあるものを知って、自分自身を知ることの必要性、ひいては社会の本質に触れることができるのだと思う。

 また、交流の場で学生たちは相手を「どのように捉え」「どのように信用し」「どのように説得し」「どうしたら仲良くなれるのか」という点に考えを巡らす。

 まさしく「国際関係・国際政治」の縮図といえ、学生たちが触れることのできる「生きた国際体験」だと思う。

「私たちが変える」

 2002年、日本の大学生たちと一緒にカンボジアを訪れ、当地の学生らと交流を行った。紛争と貧困の現状を目の当たりにした日本の大学生たちは、「人生観に衝撃を受けた」「一生忘れられない体験だった」などの感想を述べ、日本に帰ってから一層、勉学やボランティア活動に励むようになったという。一言で「一生懸命生きる大切さ」を知ったのだという。

 また、前述した朝大生と日本の大学生との交流を通し、交流が発展すればしていくほど、相互理解が深まっていくのはむろんのこと、互いが抱える問題を共に解決しようと「協力」「共同創造」へとステップアップしていくことを確信した。

 在日同胞が置かれた現状に日本の大学生が声をあげ、同じ地域に住む者同士協力し合って地域の発展に貢献し、平壌宣言の実現に向け手を取り合う−交流の過程で発揮された力の具体的な実例である。

 こうしたステップ、プロセスは、「国際関係・国際政治」に少なからぬ影響をあたえるものだと確信している。まさしく学生交流は国際政治、平和構築のエネルギーになる。

 これからも、学生交流の意義と可能性を探って行きたい。(宋修日、朝鮮大学校政治経済学部助教)

[朝鮮新報 2008.12.1]