〈論考C〉 見直される事業評価 |
「アウトカム」重視を 近年、事業評価(業績評価)において「アウトカム」に対する注目が高まっている。「インプット―アウトプット―アウトカム」という一連の流れの中で事業を捉え、アウトプットよりアウトカムを重視すべきだというのである。 ここでいうインプットとはその事業に投入された支出額や労働時間などの資源、アウトプットはインプットによって直接的に生じる結果、アウトカムはアウトプットを通じて生じる変化のことを指す。 つまり、「行ったこと」と「達成したこと」を区別し、「達成したこと」をより重視すべきだというのだ。 筆者が担当する「論理学概論」の授業で例えるなら、講義の準備に要した時間や参照文献の購入費などがインプット、行った講義回数などがアウトプット、受講した学生たちが論理的思考能力をどれほど身につけたかがアウトカムとなる。ここで、講義数と学生たちの能力向上のどちらを重視すべきかは論議するまでもないであろう。 既存の評価法から脱却 至極当然な評価方法だと思われるが、事情は少し複雑である。というのも、アウトプットが定量的(数値化できる)なことが多いのに対し、アウトカムの多くは定性的(数値化できない)だからである(講義数は数えられるが、学生たちがどれほど論理的思考能力を備えたかは数えられない)。 そのためアウトカムに対する評価はあいまいになりやすく(「一定の成果を得た」など)、ほとんどの事業評価が実際はアウトプット評価になっている。 また、アウトプットの達成が即アウトカムの達成と言えるのか、アウトプットがアウトカムにどれほど貢献したのかという問題がある。筆者は年30回の講義を行うが、それがどれほど学生の論理力を育てたかをあらわす指標にはなりえない。 では、アウトカムの指標は何かと問われると、定められていない場合がほとんどなため、しばしば両者の混同(「30講義行ったことが成果だ」)や飛躍(「30講義行った結果、論理的思考能力を養うことに貢献した」)が起こる。 さらに、アウトプットとアウトカムが反比例することもあり得る。例えば、費やした労力の点からすると10人の受講生に講義を行うよりも100人のそれの方が評価されるが、アウトカムを重視するなら何人の学生の論理力を伸ばせたのかという点こそが評価の基準となる。このように既存の評価法が、そもそもの目的であり達成すべきアウトカムの質を落としているかもしれない。 結論的にいうなら、アウトプットを基準とした評価だけではその事業の目的や使命に関わる、より重要な点が見落とされがちとなり、そのためアウトカム評価が重視されるべきなのである。 さて、肝心のアウトカム評価の方法だが、期待を裏切るようで申し訳ないが、正答は存在しない。それぞれの事業に最適な評価方法を自分で探し当てるほかない。 だが、転換が求められる現状において「難しいから」「今までやってきたから」と、既存の方法にのみ依存するのではなく、「やらなくてはならないのだから」と「考え抜く」のなら、必ず自分の事業に最適な評価方法を探し当てることができるだろう。いくつかの実例については別の機会を待ちたい。(朴明、朝鮮大学校准教授) ※大学の講義に例えたら…
[朝鮮新報 2008.10.20] |