大阪「4.24教育闘争記念シンポ」 体験者が証言 殺害、暴行は「計画的」 |
朝鮮人弾圧、今も変わらず 「たたかわなければ守れない」 「在日朝鮮人歴史・人権週間」賛同企画「4.24教育闘争60周年記念シンポジウム」が11日、エル大阪で行われ、同胞、日本市民ら100余人が参加した。シンポジウムでは、朝鮮人強制連行真相調査団の洪祥進・朝鮮人側中央本部事務局長、在日本朝鮮社会科学者協会(社協)大阪支部の金洪圭顧問が闘争の背景と経緯、意義などについて発言。総連大阪・城東支部の洪鳳相顧問(83)、社協中央の李大熙顧問(86)が当時の体験を語った。 兵庫、大阪で集会 民族教育を死守
第2次世界大戦終結後、米国は朝鮮占領・分断政策の一環として在日朝鮮人に対する弾圧を始めた。 日本政府は1948年1月24日、GHQの指示を受け都道府県知事に対し在日朝鮮人の子どもたちを日本の学校に就学させるよう通達。以降、各地で朝鮮人学校閉鎖令が発せられた。これに対し、山口を皮切りに各地の在日朝鮮人らは抗議集会を開くなど、反対闘争を展開した。 4月23日、大阪府庁前では閉鎖令に反対する1万人規模の集会が開かれたが、数千人の警官らによる弾圧で179人が逮捕された。翌24日、兵庫県庁前では1万5000人規模の抗議集会が開かれ、知事は閉鎖令の撤回、学校認可などを受け入れた。
しかし、この約束は翻され、GHQが夜になって「非常事態」を宣言。「朝鮮人狩り」が始まり1700人以上が検挙され140人以上が不当な軍事裁判にかけられた。 同26日、大阪府庁前では3万から4万とも言われる規模の抗議集会が開かれ、府知事との交渉も行われた。しかし、交渉は突然打ち切られ、「5分以内の解散」を命じられた。群衆が混乱するなか、それを取り囲んでいた警官らが放水と暴力で鎮圧し、射撃まで行った。それにより、16歳の少年が後方から頭を打ち抜かれ絶命、14歳の少女を含む8人が重症、大勢が負傷した。少女はこの時の負傷が原因で、数日後に亡くなったとの証言もある。 民族教育弾圧は「ジェノサイド条約」違反
発言者らは、殺害と暴行を含むこうした朝鮮人弾圧が計画的、意図的に行われたことを資料や証言などを基に解説した。 洪祥進事務局長は、GHQが拘束力に基づく通達を出し抵抗した者を軍事裁判にまでかけたこと、平和的な抗議集会であったにもかかわらず米憲兵が拳銃で朝鮮人らを威嚇したことなどを挙げ、日米が暴力的な弾圧を初めから計画、実行し、正当化したことを指摘した。金洪圭顧問も、1948年4月26日の大阪府庁前での集会について、集会を許可した警察が約1万人の警官動員、交通遮断、府庁周辺の断水を実施した事実を挙げ、弾圧が計画的だったことを強調。メディアなどを通じあたかも朝鮮人が暴動を起こしたかのように作り上げたと指摘した。
洪祥進事務局長は、朝鮮人学校閉鎖と在日朝鮮人弾圧について、「ジェノサイド条約」(集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約。48年12月国連採択、51年1月発効)に違反しており、時効が適用されないことを指摘した。同条約は、集団構成員の殺害、肉体的・精神的な迫害、集団の児童を他の集団に強制的に移すことなどを「集団殺害」として禁じている。 また金洪圭顧問は、GHQや日本の警察の息のかかった朝鮮人が集会に紛れ込み、退散する大衆をかき乱し警官を挑発するなどして平和的なデモを混乱に陥れたと指摘。この真相究明が必要だと訴えた。李大熙顧問も、「4.24」後、自らに逮捕令状がだされ、翌日から家宅捜索がはじまったが、常に米憲兵、日本の警官、そして彼らに情報を提供する朝鮮人の3者が現れたと証言した。 朝鮮人差別と弾圧、「後世に残したくない」
当時、大阪の人民集会での体験談を語った洪鳳相顧問は、地域の同胞らとともに会場に向かう間、再三にわたって「警官の挑発に乗ってはいけない」と注意を促していたと証言した。しかし、数万人の群集が「5分以内の退去」を命じられ混乱が生じ、すぐ側では少年が銃殺され、自らも警官らに暴行を加えられ重症を負ったとし、「この時、初めて日帝の野蛮さを思い知らされた」と怒りに震えながら語った。洪顧問は「世代が代わっても在日朝鮮人運動の生命線である民族教育を守りぬかなければならない。一人でも多く朝鮮学校に送り、一人でも多くの日本人に民族教育の素晴らしさを伝えていこう」と訴えた。 当時、兵庫と大阪での抗議集会に参加した李大熙顧問は、日本のアジア侵略時代の地図を広げ朝鮮が日本と同じ色で塗られていることを示しながら、この時代から日本の朝鮮人に対する差別と迫害の政策は何も変わっていないと指摘。今では朝鮮と日本の往来が閉ざされ、「万景峰92」号の入港禁止により在日同胞らが祖国の肉親と会えず、子どもたちの祖国訪問にも支障がきたしていると述べ、「明日にでも国会に行って訴えたい。そうしないと民族教育や在日同胞の権利を守れない」と力説した。そして、「こういう状況を4世、5世に残したくない。民族教育を守ることは民族の魂を守ること。心を一つにして最後までたたかいぬこう」と呼びかけた。 80歳を超えた1世顧問らの訴えに会場は大きな拍手に包まれた。(李泰鎬記者) [朝鮮新報 2008.4.14] |