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東京大空襲63周年朝鮮人犠牲者追悼会 連行者1万人以上が犠牲に

175人の身元、63人の遺族を特定

花を捧げる参列者たち

 東京大空襲63周年朝鮮人犠牲者追悼会が8日、東京都墨田区の東京都慰霊堂で営まれた。同胞や日本人ら約100人が参列、犠牲者を追悼し黙祷を捧げた。総連中央の高徳羽副議長兼権利福祉委員会委員長と総連東京都本部の朴昌吉委員長がともに参列した。

 追悼会では僧侶の読経、牧師の祈祷が行われ、民族楽器重奏団による演奏のなか参列者が花を捧げた。

 追悼会では朝鮮・日本軍「慰安婦」及び強制連行被害者補償対策委員会と朝鮮人強制連行被害者・遺族協会、南朝鮮の「日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会」から送られてきた追悼の辞が代読された。また、東京朝鮮人強制連行真相調査団の金鐘普E朝鮮人側代表、西澤清・日本人側代表、主催者代表の初鹿明博都議が発言した。

 東京朝鮮中高級学校の朴美奈さん(高2)は追悼の辞で「日本人と同じく命を落とした朝鮮人の犠牲者については追慕はおろか、亡くなった事実さえも知らされていない。どうして異国の地で命を落としたのか、その事実と犠牲者の恨みを胸に刻み、異国の地でも朝鮮人として誇りをしっかりと受け継いでいきたい」と述べた。

 1945年3月10日、米軍による空襲で「東京の3分の1」が焼かれ、約10万人以上が犠牲となった。身元不明や引き取り手のない遺骨が、東京都慰霊堂に安置された。その中に多くの朝鮮人が含まれていたが、長年語られずにいた。

 2005年、東京朝鮮人強制連行真相調査団と日本人記者が、慰霊堂に納骨されている遺骨の名簿や遺骨箱から朝鮮人の名前をみつけた。後の調査で175人の朝鮮人の身元がわかり、うち63人について南朝鮮で遺族が判明。60人は軍属、3人は労務者として日本に連れてこられた。ほかは創氏改名などにより身元確認が困難な状況。東京大空襲での朝鮮人犠牲者は数千人から1万人以上とも言われているが、ほとんどが名前すらわからない。

 西澤清代表は、「遺骨は本人のものであり遺族のものである。日本の植民地政策によって日本に連れてこられ、空襲に遭い、亡くなられた。そうした事実を確認し、遺骨を遺族に返さなければならない。返還のため身元調査と遺族探しを進め、次回は遺族を招いて追悼会を開きたい」と述べた。(泰)

[朝鮮新報 2008.3.19]