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祐天寺遺骨返還の本質とは

 祐天寺の遺骨の1割弱が韓国へ返還されました。表面的に見たかぎりでは、政府間で立ち会い、遺族に直接謝罪したなど従来に比べいくつかの点で前進したかに見えます。しかし、非公開であったり、人道を口にしながら朝鮮を相変わらず除外したりするなど、肝心な点で「ダメ」で、これらは問題の本質を隠すオブラートの役割を果たすことになっているのです。

 「公開」とは、単に式場に入れるか入れないかという小さな問題だけを言っているのではありません。国民すべてに真相が伝えられ、国民がそれを重く受け止め、再びこうしたことを起こしてはならないという思いを強くし、教科書など教育を通して代々学び受け継いでいくことです。これが本当の「公開」ということです。こうした「再発防止策の実行」なくして、真の謝罪、誠意ある謝罪とはならないのです。

 遺骨返還において日本政府、企業のとるべき態度とは、犠牲者と遺族の声や願いに誠意をもって応え実行することです。その声とはどのようなものでしょうか。「何もいらないから、生きて返せ」ということです。

 それができない時、責任を有する者がとるべき態度とは、以下のような遺族の思いを実現することです。

 「どうして亡くなったのか、どのようにして亡くなったのか、原因は何か、なぜそうした原因が生じたのか、責任者は誰か、責任者は出て来て謝罪せよ、補償せよ、再び同じことが起きないよう再発防止策を講じよ、それでなければ犠牲者は死んでも浮かばれない、死を無駄にしないでもらいたい」

真の謝罪、反省とは

 こうした思いは、今、私たちの肉親が同じようなことで亡くなったとき私たちが抱く思いとまったく同じです。つまり、@原因・責任の所在を含む真相究明、A責任者による謝罪と補償、B再発防止策の実行ということです。

 これら@〜Bは一体のものであり、真の謝罪、真の反省を、誠意をもって行うとは、これらを一体のものとして実行することです。これらのことを実行することは、犠牲となられた方々とその遺族のためであると同時に日本が日本のためになさねばならないことでもあります。@〜Bのどれが欠けても、どれかが異なっても誠意ある謝罪でなくなるのです。遺骨が返還されたとき、この中のどれかが未解決であるならば、遺骨返還はなされても「遺骨問題」は解決したことにはならず、解決するまで努力しなければならないのです。

 日本政府や企業の態度は日韓条約からも来ていると思います。日韓条約には、「謝罪」の「謝」の字も「補償」の「補」の字も一字たりとも書かれていません。日本の過ちの後に結ばれるべき国交回復となる条約の体をなしていません。さまざまな事情があったにせよ、いつかは日本側から提案して改めるべきです。(堀口晃、強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム事務居局長)

[朝鮮新報 2008.2.13]