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〈元徴用軍人遺骨返還〉 批判を封殺するメディア

 追悼式で駐日韓国大使が弔辞を述べた後、金慶峰さん(71)が遺族を代表して次のように追悼の辞を読み上げた。金さんは11歳年上の兄、金正峰さんを亡くした。

 「さる1944年、兄さんが遠くへ徴兵されて家を出発するとき、その帰還がこのように63年もかかるとは夢にも思わなかった。母さんも父さんも既に亡くなった。白い頭になってやっと兄さんの遺骨に対面することができた。

 兄さんが帰ってくる日を知るために、字の読めないおばあさんが新聞片を持って涙を流していた姿がまだ脳裏に焼きついている。

 兄さんは身一つで戦場に連れて行かれ、その青春を花咲かせることもなく、異域万里の見知らぬ土地で寂しく死ななくてはならなかった。死んでも故郷の地に埋められることなく、このように長い歳月、他人の土地で過ごさなければならず、どれ程辛く苦しいことなのでしょうか」

 会場外のホールでは、天井に据え付けられたスピーカーから、ごく小さい音ながらも場内の音声が流され、一部、様子を伺い知ることができた。日本人代表の辞はその場で通訳されたが、韓国側の辞が日本語に訳されることはなかった。

 遺族が花をたむける時、スピーカーから女性たちのむせび泣く声が流れてきた。嗚咽している。抑えているものが、溢れ出てきてしまうような、苦しそうな声だった。報道陣もその声に気がついたのか、一瞬その場が静かになった。

 式典の最後に、韓国の昔からあった人々の恨、厄を晴らす儀式舞、サルプリチュムがあった。恨、悲しみを乗り越え歓喜へと昇華させる鎮魂の意味がある。

 開式から約一時間で式が終わり、報道陣に対する「ぶら下がり会見」が始まった。

 朴聖圭・糾明委員会事務局長は「韓国にまだ返還されていない遺骨を今後どうするのか」という質問に、「遺族が確認されている遺骨の第2次、第3次返還へ向け活動を続ける。無縁仏である遺骨については、遺族探しをする。また日本全国内の寺に動員された労務動員者の遺骨がある。これらについての実地調査を進める」と答えた。

 韓国人記者から「今回の調査で、偽物の遺骨が判明した。今回奉還された遺骨はDNAによる一致の確認はされているのか」という質問があった。

 「一部名簿上の誤りがあったことは、日本政府が公式に認めている。今後も科学的な裏付けを行う。今回は専門家による鑑識作業が行われた」

 民間人の遺骨については、「本日の返還は、軍人・軍属の遺骨返還の第一段階。私たちの作業が軌道に乗ってくれば、労務動員者の遺骨にも着手したい。仏教関係者・良心的な市民団体の多くの努力に感謝する。官民協力体制を構築し、返還を行っていく」

 私は会見の後、朴事務局長に「朝鮮にいる遺族のことはどうするのか」と聞いた。朴氏は「日本政府と朝鮮の間で進めるべきことだと思うが、朝鮮にいる遺族のことについてわれわれはできるかぎり協力したい」と答えた。

 遺族代表の金慶峰さんは「追悼式の感想は」と問われ次のように答えた。

 「一言では言えない、複雑な気持ちだ。第一に憤りがある。なぜこんなことが起きたのか。なぜこれまで解決されなかったのか。ひどく憤りを覚える。二点目には、たいへん哀しい気持ちだ。私の兄は20歳という歳で亡くなり、結婚もできず、家庭を持つこともできず、自分の仕事に就くこともできなかった。兄のことを考えると、胸が張り裂けるような思いだ。ほかの遺族も同じ思いだろう。最後に、たいへん恥ずかしい気持ちがある。なぜ防ぐことができなかったのか。後世の人々に対し、繰り返してはならないと思うようなことを、なぜ防げなかったのか」

 「長い年月を経ての対面であるが、お兄様にどのような声をかけたいか」と聞かれて、「これからは、もう過去はすべて忘れて、新たな気持ちで安らかに永眠してください、と伝えたい」と述べた。

 遺族がバスに乗り込んでいた。窓をあけ身を乗り出し、知り合いに別れを告げる人もいた。女性2人が、日本政府が渡した紅白のリボンを手に持って、バスのステップまで降りて来た。一人がふいに、叩きつけるようにして、リボンを地面に捨てた。韓国側関係者が黙ってリボンを拾った。

 はっとした。これで終わりなのではない。苦しみはこれからも続く。そう言っているような気がした。多くの遺族は、私たち日本人に対して手を振りながら、寺を後にした。

 日本の報道は今回もひどかった。遺族のコメントも載せなかった読売新聞は論外だ。朝日新聞が小さい写真を付けて報じたのが目立っただけで、他紙は小さい扱いだった。

 「遺族代表の金慶峰さんは『複雑な気持ちだが、兄にはすべてを忘れて安らかに眠ってほしい』と語った」(毎日新聞)、「つらくて苦しい記憶を洗い流し、天国で安らかに眠ってください」(東京新聞)

 遺骨返還が「友好関係をいっそう発展させる架け橋になる」という両国関係者のコメントを強調する記事もあった。

 未来志向的な発言があったことは嘘ではないが、韓国側の怒りを伝えないのは、一種のわい曲報道だ。

 テレビではNHKが1月22日の「ニュースウオッチ9」で、追悼式の模様を映像付きで報じた。「朝鮮半島出身の軍人軍属の遺骨およそ1100人分が保管されてきました。このうち101人分が返還されることになり、追悼式で黙祷がささげられました」

 遺骨の人数を「およそ」(約)と表現するのはどうかと思った。

 最後に、遺族代表の金慶峰さんの「兄は家庭も築けず仕事ももてず戦場で亡くなりました」「これまでの過去はすべて忘れて安らかに眠ってもらいたい」という発言がオンエアされた。遺族の言う「すべて忘れて」の意味は深いが、十分には伝えられていない。

 NHKは翌日、遺骨が埋葬されるソウルの「希望の丘」からも放送した。

 民放では日本テレビがローカル枠で短く報道しただけで、全国ニュースで祐天寺の追悼式を報道した局は一つもなかった。(ジャーナリスト、同志社大学教授 浅野健一)(続く)

[朝鮮新報 2008.2.12]