top_rogo.gif (16396 bytes)

〈元徴用軍人遺骨返還〉 朝鮮の分断狙う遺族招待

 1月20日に届いた友人からの電子メールで、「1月22日に東京の祐天寺に安置されている朝鮮半島出身戦没者遺骨のうち、韓国で遺族の所在が判明した101柱の遺骨が韓国へ返還される、ということが厚生労働省のホームページに出ている」という連絡があった。友人は「一般の人々、市民団体らを締め出して密室の中での返還式を行おうとしている。マスコミ取材も厳しく制限されるようだ」と書いていた。

知り合いに別れを告げる遺族ら

 追悼式に関しては、本紙が1月30日付に報道しているが、かつて朝鮮の人々を強制連行・徴兵した加害者の日本の一国民であるジャーナリストとして伝えたい。

 厚労省のHPを読んで、式典を取材しなければ、と思った。日本政府が韓国の遺族を日本へ招待して、遺骨を返還するのは初めてのことで、「韓国出身戦没者還送遺骨追悼式」(同HP)の実際を確かめたかったからだ。また、私は2006年5月、朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)を訪れた際、父親の遺骨が祐天寺に仮安置されているという金元鏡さんから聞き取り調査した経験があり、朝鮮に住む遺族はどうするのかが問題だと思った。

 そもそも、日帝時代の朝鮮には「韓国」はない。「韓国出身者」という表現が不適切だ。

 厚労省によると、祐天寺に安置されている遺骨は1135体で、韓国関係が704体、朝鮮関係が431体。韓国との合同調査で、288体の身元が判明したという。

 HPに文書を載せたのは厚労省社会・援護局援護企画課外事室の平澤光男・室長補佐である。「朝鮮半島出身戦没者遺骨の還送について」と題した文書(2月18日付)は報道関係者へ向けて次のように書いていた。

金慶峰氏

 「遺族の心情を踏まえ、静謐な環境で追悼式を実施するため、遺族の入退場及び終了後の韓国側代表者へのインタビューのみとさせていただく」「取材者は、必ず厚労省が配布した記章(リボン)を着けることになっているので、自社の腕章と顔写真付きの身分証明書を携行の上、入場下さい」「式典終了後、韓国真相究明委員会事務局長朴聖圭氏が取材を受けるが、記者会見方式ではなく、ぶら下がりでお願いしたい」

 朴氏が事務局長を務める委員会の正式名は「日帝強占下強制動員被害眞相糾明委員会」である。

 報道関係者は取材申込書に必要事項を記入のうえ、1月21日午後5時までに提出するよう求められていた。

 私は記者クラブに入っていないので、取材は無理と思ったが、外事室へ電話して頼んでみることにした。最初は、外務省・厚労省の記者クラブ以外の記者は無理だという態度だった。私は「フリーランスの私には『自社の腕章』はない」「官庁の一室を不法に占拠する記者クラブの存在は違法であり、クラブ非加盟を理由に排除するなら裁判に訴える」などと食い下がると、所定の申込用紙に記入してファクスで送るように指示された。

 21日午後4時ごろ、取材申込書を指定のファクスに送ったが返事はなかった。

 1月22日正午に、祐天寺の受付に行くと、私の名前が取材者リストにあり、記章をもらえた。取材を認めるという連絡ぐらいしてほしかった。

 午後0時半ごろ、遺族50人を乗せたバス3台が祐天寺に到着した。男性は黄色の喪服、女性は白の喪服姿だった。胸に黒いリボンと紅白のリボンをつけてバスから降りてきた。正面を見据える遺族の鋭い眼差しが印象的だった。

 式の開始前、三宅満・厚労省社会援護局外事室長が「祐天寺に安置される遺骨についての説明」を朗読した。室長は、「先の大戦で約2万2000人の朝鮮半島出身の旧軍人・軍属の方々がお亡くなりになった。今なお、ここ祐天寺に1135柱が安置されている」と述べた後、こう強調した。

 「ご遺骨は、戦時中、あるいは戦後の引き揚げの混乱の中においても、旧陸海軍部隊がご遺族のもとへお届けするという使命感をもって肌身離さず日本へ持ち帰ってきた」「関係者の方々が拝礼しやすくなるよう、昭和46年にここ祐天寺にお預けした。ご遺骨は、今日に至るまで大切にお預かりし、ていねいに供養している」

 1945年から71年まで、どこに安置されていたのだろうか。遺族たちが、大切に供養してきたと思っているだろうか。

 このあと開式のあいさつがあり、約40秒間の黙祷があった。報道陣はここで退室させられ、終了まで非公開で行われた。

 岸宏一・副厚生労働相も「尊い犠牲となられた遺骨は祐天寺において大切に供養し、預かっている」と強調した。

 全基浩・真相糾明委員会委員長は次のように述べた。

 「既に60年余りの歳月が流れた。父祖の生死の確認さえできなかった遺族は、東京に遺骨が安置されているという知らせを聞き言葉を失った。真実を徹底的に明らかにし、無念や恨が解消されるよう努める。両政府間で、軍人・軍属だけでなく労務者として強制動員された被害者たちの遺骨収集・返還の協議が続くが、いまだ成果が出ない。両国政府はより協調し、強制動員の実情に対する客観的事実を歴史認識の次元で共有し、国民に伝え、後世に教育する責任がある。誤った過去に対しては、心からの謝罪と反省が必要だ。国民がこれを謙虚に受け入れて許すとき、両国民の間に本当の友情が生まれる」

 「犠牲者よ−これから、怨恨の地日本を離れられなかった不幸な状況を打破し、故国へお連れする。故国の土地で永眠されることを心から望む」

 柳明桓・駐日韓国大使は追悼の辞で、遺骨返還が実現するまでを振り返り、「韓日間の友好と平和、未来志向の関係の構築は、過去を忘れてしまうのではなく、過去を直視しつつ、解決のために誠意ある努力を傾けていく時に初めて、その解決に向かう芽が萌え出る」と強調した。(ジャーナリスト、同志社大学教授 浅野健一)(続く)

[朝鮮新報 2008.2.4]