「介護」 |
猛暑にふり回された夏もいつの間にか過ぎ、そこかしこに秋の気配が漂いはじめた。 私は窓を開け、朝の透き通るような空気を胸いっぱいに吸い込んだ。私がアルツハイマー病の妹を介護するため、小さな店をたたんでこの田舎に来て早2年の月日が流れようとしている。 介護の初期の頃の私たち家族は、原因も治療法もハッキリ解らず、本人の気づかぬ間に脳だけが萎縮し、平常でなくなり、人間性すら失われていくこの病に恐れおののき悲嘆にくれていた。 妹は、ある時は父母や祖母、兄弟との楽しかった少女時代に、ある時は恋人や友人との思い出深い青春時代に、ある時は子どもたちを慈しみ育てた幸せ多き母親の時代に、ある時は仕事一筋に情熱を燃やした焼肉店の女主人の時代にと、現実から過去へ、過去から現実へとさまよいながら確実に記憶を失い、日常生活も自力ではできなくなっていった。 すべてに無気力、無関心になるにつれ表情も乏しく目は生気を失い、歩くのも前かがみにおぼつかなく、言葉がハッキリせず読み書きも計算も日時も忘れ自分の年すら38歳で止まっていた。そんなある日だった。夫の位牌の前に座り手を合わせ「ボケませんように! ボケませんように!」と小声で祈る妹の姿を見たのは−。 ハッキリと自分のボケが認識できないまま、何かが起きているという不安の中で亡き夫に救いを求めているのだと思った時、あまりの哀れさに私も一緒に祈っていた。 「妹を助けてください」と。(鄭邦子、主婦) [朝鮮新報 2007.9.27] |