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「祖国訪問」

 姪から「お母さんの記憶が失われる前に朝鮮の弟妹に会わせてあげたいと思うけど、一人では自信がないので一緒に行ってくれませんか?」と相談を受けた。親孝行したいと望む子どもたちの気持ちがうれしくて1週間店を休業にし、中国経由で朝鮮入りしたのはおととしの8月だった。数十年ぶりの弟妹との再会、喜びと感動でわき立つはずの面会場は妹のアルツハイマー病を現実として受け入れることで重く沈んでいた。その雰囲気を和らげ笑顔あふれる場に変えたのは、孫たちの元気な笑顔と物おじしない歌と踊りの競演だった。8人兄妹の中で兄と私、妹の3人は朝鮮生まれ。

 強制労働で九州の炭坑にいた父を訪ねて海を渡ったのは私が3歳の時だった。その1世の3人が日本に残り、日本で生まれ育った下の弟妹5人が祖国へ帰って行ったのだ。そして50年近い年月の流れの中で48人の大家族となった。

 面会場で再会の喜びに抱き合い涙を流していた妹が少し後に「今のおじさん誰なの?」と弟を指差したり…。半身不随の末の弟が車椅子で来た時、自分の首につけていた金のネックレスをはずし弟の手にそっと握らせていた妹が数分後「ネックレスがなくなった」と騒ぎ出した時の驚き! アルツハイマー病の恐ろしさを実感した瞬間だった。

 今、妹には祖国訪問の記憶も弟妹との再会の記憶もない。それでもふっと「朝鮮の弟妹に会いたいなぁ」と言う。祖国の弟妹を思い心痛め、一番尽力してきた妹の愛情が胸をしめつけ涙が止まらない。(鄭邦子、主婦)

[朝鮮新報 2007.8.24]