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「糺(ただす)の森にて」

 高句麗の建国王・東明聖王を描いたドラマ「朱蒙」を見て、はるか遠い日のわが民族に想いを馳せる。「朱蒙」の名は、「矢をよく射る者」の意味を持つが、元来は「頂、首長、王」を表す高句麗の言葉だそうだ(「古事記」に登場する「つむがりの太刀」はチュモガル、チュモガリから高句麗王の太刀であろうと考えられている)。

 私が京都下鴨神社の流鏑馬神事を初めて見に出かけたのは、5月3日のことである。緑薫る糺の森を2万数千人が埋め尽くす中、平安時代と江戸時代の衣装をまとった騎手が競う。走る馬上から菱形の的を連続して三枚射抜くのを目の当たりにし、言い様のない興奮に包まれた。「パーン」と的が弾ける音と同時にわき起こる観衆のどよめきが、新緑の森を駆け巡るとき、まるで高句麗の壁画の「馬射戯図」から抜け出たような錯覚にとらわれた。5世紀初にすでに壁画に描かれていた競技が今、日本の地で1300年の伝統を受け継ぐ京都の神事となっている。また、高句麗では太陽の象徴・神の使いとされていた三足烏も、上賀茂神社で「ヤタガラス」の名で崇められている(熊野大社も同じである)。

 古代朝鮮との深いえにしが息づく流鏑馬神事が行われたこの日は、奇しくも憲法記念日でもあった。「美しい国」の名の下で「集団的自衛権」や、改憲を高らかに謳う、この国の行くすえが案じられてならない。糺の森は「正す」という意味を含む。

 「美しい国」は一体どこへ向かっているのだろうか?(陳美子、文芸同京都文学部長)

[朝鮮新報 2007.6.2]