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セベトンの意味

 お正月といえば歳拝(セベ)のあいさつを交わし、セベトン(お年玉)のやりとりをするのが習わしだ。私も子どもの頃にこっそり袋の中を確かめては、一人ほくそえんだり肩を落としたりしたものだ。この「お年玉」、実は朝鮮語である。「とし」(年、歳)の意味は、一年、年月、そして古くは穀物(稲)の実りという。万葉仮名で「得之、等之、登之」と記されているが、吏読表記もこれと全く同じ漢字を使っていることに驚く。

 これは朝鮮語「더지」(ドォジ)、「드지」(ドゥジ)=より多くを作ること、増産の意味=から来たという。朝鮮語が日本語に入ってくると、音韻変化の法則で発音が変化する。パッチムが脱落し、濁音が清音になり、T音がS音になったり…。それで得之「ドゥクジ」が「トゥシ」に、登之「ドゥンジ」も「トゥシ」になり、「トシ」と発音されていったのだ。

 「だま」(玉)も「담아」(タマ)=盛って、込めて、入れての意味=からきた言葉である(うどん玉は、うどんを盛ることからこう呼んだそうだ)。

 その年の実りでもあるドゥジ「稲」を分け入れて部族の者と分かち合った、昔の風習からできあがった言葉−お年玉。

 与える側の思いを盛って、与えられる側はその思いに応え、仕事に精を出す本来の意味はすでに消えてしまった。金額の多少だけが話題になる今日、大切なものを置き去りにした感はいなめない。1世たちの思いを受け継ぐ私たちは、新しい希望を込めた実りのある一年にしたいものである。(陳美子、京都・文芸同文学部長)

[朝鮮新報 2007.1.27]