還暦迎える「女性同盟」−人間の尊厳守る原動力 |
今月、女性同盟が結成60年を迎える。総連は今年結成52年。しっかり者の「8歳年上女房」というところか。 女性同盟の業績をこの短いコラムで述べるのは至難の業である。あえて言えば、異国日本で間断なく襲いかかってきた民族差別、女性差別など重層的な差別と闘いぬき、われわれが人間としての尊厳を守る原動力となった。 女性欄の「語り継ごう20世紀の物語」「生涯現役」などに登場したのも、ほとんど女性同盟結成時に活躍した女性たちであった。最高齢が日露戦争勃発の年、1904年生まれの金吉徳さん(東京)、次いで1910年生まれの全永淑さん(神戸)であった。それぞれ98歳、91歳のときに話を聞いたが、その後、相次いで亡くなった。 金さんは筋金入りの「愛国者」。夫と共に、東京朝鮮第5初中級学校の創設に関わり、理事として半生を捧げた。48年の共和国国旗弾圧事件では、家に押しかけてきた警官らと対峙しながら、一歩もひるまず押し返した。しかも、国旗を米びつに隠すというとっさの判断で、危機を切り抜けたというから、凄い。 生涯「ただの一度も日本人に頭を下げたことがない」というのがハルモニの自慢だった。 全さんは平壌の中心部・金日成広場に生家があったという。ここで19歳まで過ごして、神戸に渡り、「元祖平壌冷麺屋」を起こした。いま、店は息子、孫世代に受け継がれているが、客の層も日本各地、3〜4代にまで及んでいる。 朝鮮人として、また女性として精一杯生き、人一倍の深い情と勤勉さと努力で濃密に生きてきた先達たち。最期まで魅力的だった。還暦を迎えた「女性同盟」もますます輝いてほしい。(粉) [朝鮮新報 2007.9.29] |