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人垣−日朝友好展45回、高麗野遊会25回

 2日、横浜市内で開かれていた日朝友好展を覗いた。終日にぎわいを見せていたが、約1週間の会期中には2000人を超える朝・日の人々が、会場に足を運んだという。

 45回目、47年という歴史の重み。すでに鬼籍に入られた画家の白玲さん、脇坂茂樹さんらの面影がよぎる。この半世紀の両国関係の厳しさに思いをめぐらすとき、日朝友好展の灯をともし、それを守り続け、次世代へと引き継いできた人々のたゆまない努力とその誠実な足跡に胸が熱くなる。

 5月には、25回目になる高麗野遊会に足を運んだ。この地に色濃く残る高句麗文化と歴史の息吹に思いを馳せながら、河原で満喫する焼肉の味は最高である。この催しも年々参加者が増え、今では150〜200人の人々が集う一大イベントになっている。

 この集いの実行委員の一人、古田武氏は、今年還暦を迎えた。気のおけない仲間たちは「アンニョン古田さん」という愛称で呼んでいる。今をさること四半世紀前、朝鮮語の学習をスタートさせたことから、朝鮮問題と関わることになった同氏だが、朝鮮語のマスターには挫折したと言う。「アンニョンハシムニカ」から一歩も進まなかったというエピソードがそのまま愛称になった。もっとも古田さんは「講師が女性だったら、絶対に身についたはず」と弁解するが…。

 緊張が激化する中での友好運動の舵取りは、時として難問にぶつかり、意見のぶつかり合いも伴う。しかし、どんな時でも関係者らは「相手を尊重し、相手の気持ちになって考えること」だと一致して語る。

 日朝友好を願う市民たちが脈々と築きあげた貴重な財産−それは人垣である。(粉)

[朝鮮新報 2007.6.9]