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「宇都宮大将の日記」−平和への執念 子息が実現

 3.1運動88周年を前に、朝日新聞(2月28日付)が、植民地時代の朝鮮軍司令官だった宇都宮太郎大将(1861〜1922)の15年分の日記など、大量の史料が見つかったと1面トップで伝えた。

 そこには、朝鮮独立運動の拡大の中で、立ち上がった愛国者たちを武力で鎮圧、虐殺する日本軍の残忍な様子とそれを隠蔽しようと画策する軍部の恥ずべき姿が生々しく描かれている。植民地支配の実態を照らし出そうとする関係者の努力と勇気に敬意を表したい。

 宇都宮大将の長男は、故宇都宮徳馬・元衆参議員。朝鮮の統一と朝・日国交正常化を願い、64年の初訪朝以来、何度も金日成主席と会い、厚い信を交わした高潔な政治家であった。

 記者は生前、徳馬氏と数回お会いし、そのつど貴重な話をうかがったことがある。その中でも忘れがたい思い出は、ご尊父・太郎氏への回顧談であった。

 「日本が朝鮮の独立を奪ったことは悪いことであり、弁解の余地はありません。その後も朝鮮の独立運動を弾圧し、太平洋戦争の際は、朝鮮民族に多大の犠牲をしいました。私の父は、3.1事件の際の朝鮮軍司令官であり、弾圧の責任を免れることはできません。しかし、父のために一言言わせてもらえば、事件の犠牲者を少なくするため強硬派の反対を排して兵士に実弾の発射を禁止するなど心肝を砕いたことも事実です」(彩流社刊「明日に向かって」収録)

 太郎氏は古代の朝・日交流の歴史や当時の情勢をみても、両国が互恵平等の関係を打ち立てることを望んでいたが、現実はそうならず、心労のすえ、胃がんで死去した。徳馬氏は当時15歳だった。そんな父の遺志を生涯貫いて、軍縮と平和に貢献されたのである。(粉)

[朝鮮新報 2007.3.2]