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大きな懐−1世ハルモニの大往生

 昨年末の12月21日、一本の電話がかかってきた。6年前取材した大阪市港区に住む、女性同盟大港支部顧問・韓又仙さんが前日の20日、亡くなったという知らせだった。享年83歳。

 また一人、植民地時代の苦労を体験した1世が私たちのそばを去った。

 6歳で日本に渡り、幼い頃は「父と母と一緒に西は中国山地、東は足尾銅山の飯場を渡り歩く流浪の日々」を送った。

 そんなハルモニに最も深い心の傷を残したのが、オモニの失踪だった。60年前の悲痛を記者に語りながら、目に涙を浮かべたその姿が今も目に焼きついている。学校にも行けず、10歳の頃、2歳年上の姉と2人で、兵庫県姫路市近郊の村の精米所を営む日本人の家に住み込みで働いた。親切な夫婦に総絞りの着物を作ってもらったと懐かしそうに話していた。

 そんな暮らしと決別したのが、祖国の解放と女性同盟の結成だった。女性同盟港(現、大港)支部委員長に就任、地域の大黒柱として信頼された。

 結婚して8人の子どもに恵まれ、日雇い労働をしながら、家計を支えた。夕方5時からは同胞の家々を回って、阪神教育闘争や「外国人登録令」反対闘争など、草創期のたたかいの日々を第一線で支えた。女性同盟一筋に歩み、顧問になったのちも、現役の活動家や同胞たちを大きな懐で包んだ。

 亡くなる前日、堺から見舞いに来た娘と同支部・金玉順委員長の3人で水炊き鍋を囲んだ。「よく食べ、よく笑い、よくしゃべった」あくる日の大往生だったという。

 23日の葬儀には子ども、孫、ひ孫の一族約50人とたくさんの同胞たちが参列し、ハルモニとの最後の別れを惜しんだ。(粉)

[朝鮮新報 2007.1.20]