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春・夏・秋・冬

 とくに昨年来、安倍政権の常軌を逸した総連組織と在日朝鮮人に対する政治弾圧の中で、日本社会にはもはや良識というものが存在する場所すらなくなってしまったのではないかと錯覚するほどだった。しかし、それは思い込みすぎだったのか

▼金剛山歌劇団の仙台市公演をめぐって、同市長が市民会館の使用許可を取り消した問題で仙台高裁は地裁に続き市側の抗告を棄却した。歌劇団公演を「管理上の支障」云々を口実にして市民会館の使用を取り消そうとするなど、表現の自由など日本国憲法に定められた、いや市民としての普遍的な基本的な権利を奪い取ろうとした同市長の人権感覚は当然、問題にされるべきだろう。その一方で安倍政権の政治弾圧と、それに便乗した右翼勢力の蠢動に萎縮、恐れた結果の行動だったとも考えられないことはない

▼今回、多くの市民、法曹関係者らが市側の暴挙に怒り、立ち上がったという。公演実行委弁護団の高橋弁護士は「今回の問題は民主主義の根幹に関わる大事な人権問題」だと指摘する

▼基本的人権が踏みにじられ、そのことが社会的に容認されると、もうそれはファシズムというほかはない。またそれは在日同胞、総連という組織を超えて必ず一般の日本人、社会にも波及する。危機意識が噴出した背景である

▼それにしても、安倍政権の拉致騒動、それと一体になった政治弾圧が日本社会にもたらした負の根の深さに愕然とさせられる。「事件化」を公然と口にし弾圧の先頭に立った警察庁長官が退任したが、次はどこのポストに納まるのか。(哲)

[朝鮮新報 2007.8.17]