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春・夏・秋・冬

 第20回大会からのこの3年間、自身の足跡をふり返ってみて感じることが多々ある。とはいっても、何もこの3年間だけに限ったものではないが、総聯機関、同胞大衆紙の朝鮮新報を制作しながら在日同胞たち、読者のニーズにどれだけ応えられたのだろうかということだ

▼ニーズには二つの側面があるように思う。一つは文字通り読者のニーズである。読者を無視した独りよがりの紙面作りは必ず見放されてしまうし、かといって機関紙という性格を無視してしまっては存在理由がなくなってしまう。もう一つは状況に照らし合わせて、そしてその状況がどう変化していくのかということを読み取って提供していく制作側のニーズである。果たして十分に応えられたのかどうか

▼日本社会の価値観の多様化はイコール在日同胞社会のそれでもある。例えば国籍。帰化して完全に日本人になろうとする人、帰化はしてもコリアン系であることを捨てない人、そして韓国籍と朝鮮籍。在日同胞特有の状況だ

▼価値観は多様化したものの、変化していないように思えるのは日本人社会の人種主義である。根絶されないかつての排外意識を意図的に呼び覚まそうとする傾向がとくに顕著になっている。それに比べて、他人種を当然だと認め共存していこうとする動きは確固とした地歩を築いたものの、現状は押され気味だ

▼こうした社会がいびつ、異様、異常であることは国連人権委員会などの指摘からも明らかだが、日本政府当局は顔をそむけ続ける。今の状況とどう向き合っていくのか、本紙の課題は山積している。(彦)

[朝鮮新報 2007.5.24]