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本紙で紹介した「自伝大木金太郎−伝説のパッチギ王」(講談社)。波乱万丈の人生そのものだが、考えてみれば波乱万丈とは何も彼だけに限ったものではなかった。在日2世の父母たち1世も、それぞれ所は違えど、同じような体験を経なければならなかった ▼南朝鮮では現在、かつての反共独裁政権時代の罪業を洗い直す作業が粛々と続けられている。米国によって分断された国の統一、反共独裁に反対し民主化を主張することがタブーだった時代、「北と接触した」「北の指示を受け反体制活動を展開した」と、政権は事実をでっち上げ多くの知識人、学生、労働者、市民たちを弾圧、処刑した ▼「自伝大木金太郎」の中に「『麗水・順天反乱事件』で死の淵に立たされる」という項目がある。「1948年11月19日、全羅南道麗水に駐屯していた第14連隊」が、「済州島の4.3事態(民衆蜂起)の鎮圧を拒否して『南北統一』と『人民解放』を掲げて放棄した」(同書から) ▼政権の危機にあった当時の李承晩政権は、米軍の支援の下に大規模の鎮圧、掃討作戦を行い、住民たちに片っ端から「共産主義者」のレッテルを貼って無差別の殺りくを敢行した。「大木金太郎」も加担者として連行され処刑直前で生きながらえた ▼この軍人蜂起が失敗したのは、首謀者の一人であった朴正煕が仲間を裏切って「同志のリスト」を政権に売り渡したからだった。その娘がいわずと知れたハンナラ党前代表で今年末の大統領選挙に名乗りを上げている朴槿恵である。親米、反共独裁の根はまだ絶たれていない。(彦) [朝鮮新報 2007.2.26] |