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春・夏・秋・冬

 米国映画「硫黄島からの手紙」。1945年2月、太平洋洋上に浮かぶ小さな島で繰り広げられた米軍と日本軍の戦闘を、クリント・イーストウッド監督がそれぞれの側から描こうとした2作品の一つで、アカデミー賞の4部門にノミネートされている

▼日本軍の飛行場を巡る小さな島の争奪戦は1カ月ほど続き、双方約2万人が死んだ。日本の雑誌などは「第2次世界大戦最大の激戦」と指摘している

▼日本の侵略戦争を取り上げた映画を目にしていて、いつも疑問に思うことがある。実際には当然、そこにいたはずの強制連行、強制徴用された朝鮮人、中国人ら被侵略国の人民がスクリーンからほとんど排除されていることだ。飛行場や基地建設のためにどれほどの同胞たちが目的地も告げられずに連れ去られたことか。強制連行調査団によってその事実は明白にされているし、かくいう筆者の親せきにも犠牲者がいる。日本の敗戦時には、「BC級戦犯」の濡れ衣を着せられ無念の死を遂げた同胞もいる

▼南朝鮮紙の報道によると、硫黄島にも例外なく連行された朝鮮人が存在していた。朝鮮総督府の御用新聞だった毎日新報(当時、唯一の朝鮮語新聞)45年3月23日付に以下のような記述がある。(原文を読んだわけではないので孫引きになるが)「硫黄島には半島出身者、または半島と縁が深い人々もたくさんいた」

▼作品と事実のギャップ。無知さゆえかもしれない。しかし無知は無知を再生産する。日本当局のようにわい曲しかねない。過去の清算によってこそ本当の姿を取り戻す事ができよう。(哲)

[朝鮮新報 2007.2.10]