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〈人物で見る朝鮮科学史−43〉 世宗とその時代A

中世の朝鮮 最高の技術者、蒋英実

天文機械

 韓流ドラマ「チャングムの誓い」の人気は衰えず、今もNHKで放送されている。その終盤に自分の命を救ったチャングムを侍医にしようとする中宗に対して大臣たちが反対する場面がある。その時、中宗は次のように声高に叫ぶ。

 「英明なる世宗大王も官庁奴婢であった蒋英実に官位を与え重用したではないか!」

 蒋英実、彼こそ知る人ぞ知る朝鮮中世の最高の技術者であり、伝説の人である。彼の家系は元の帰化者であり、母は妓生であった。ゆえに、身分制度の厳しい封建社会のなかで彼は生まれながらに大きなハンディを背負っていたが、ありあまる才能がそれを乗り越えていく。

 蒋英実は太宗に抜擢され宮中の工匠人となるが、その才能を高く評価した世宗は1424年に技術研修生として中国に派遣する。帰国後、世宗は蒋英実を官職に就かせようとするが、彼の身分を問題とした大臣たちの反対によって実現しなかった。この頃、蒋英実は「更点之器」という水時計を製作するが、その出来栄えは素晴らしく、彼に官職を与えたいという世宗の再度の意向に大臣たちも同意をせざるをえなかった。ちなみに、この時の蒋英実の官職は王の衣服と宮中の宝物を保管する正五品尚衣院・別坐で、封建官吏19等級のなかの9番目である。

日時計

 高麗時代の天文観測機構である「書雲観」を復活させた世宗は、朝鮮独自の暦書を作成するために1432年に集賢殿の学者たちに天文観測器具の製作を命じる。そして、天文理論と文献の研究は鄭麟趾、鄭招が行い、製作は李と蒋英実が担当した。それから1年後、彼らはまず緯度測定器である木製「簡儀」を製作し、それによってソウルの緯度を38度弱と確認した後、より精密で耐久性の優れた銅製の簡儀を製作する。さらに、蒋英実は天の形象を再現する儀機である渾儀・渾象、懸珠日・天平日・指南日・仰釜日などの日時計、夜にも時間を測定できる日星定時儀などを次々と考案・製作している。簡儀は慶福宮内に築かれた幅6.4メートル、長さ約9.7メートル、高さ6.6メートルの石台に設置され、簡儀を簡素化した小簡儀は書雲観に、日星定時儀は書雲観に一つ、国境地帯に二つ、宮中に一つ配備された。残念ながら世宗時代の天文観測器具は残っていないが、文献をもとに復元されたものが、京畿道の驪州郡にある世宗大王陵に展示されている。

 天文観測機械の製作過程で銅の加工技術が向上するが、1434年にはそれを活かした銅活字の鋳造においても蒋英実は大きな役割を果たしている。そして、彼をして中世最高の技術者と言わしめたもの、それが自動水時計である「自激漏」と、そこに天体の模型を連結した「玉漏」の製作である。(任正爀、朝鮮大学校理工学部教授)

[朝鮮新報 2007.12.1]