晴れ舞台を輝かしいものに |
司会 張建植さん 初めてマイクを握ったのは24歳の時。親友の結婚式で司会を任されたのがきっかけ。それから30年、550余組のカップルの門出をその柔らかな美声で祝ってきた。営業や広告活動はほとんどしたことがない。仕事の依頼は全て紹介や口コミだ。 済州島なまりの中で育った張さんは、日本語にも多少なまりがあったという。それを克服するために、元アナウンサーや某落語家のもとで講座や指導を受けた。選挙カーのうぐいす、カラスのコーチやミュージカルの総合演出をしたこともある。朝鮮学校の頃は合唱部や吹奏楽部に所属、進学した大阪芸術大学でも、指揮のレッスンを受けたりと音楽に熱中した。学生時代の音楽との関わりが司会業にも活きていると言う。「名曲には人の心をつかむ曲節、ハーモニーがある。司会にもそれが必要」。 今まで沖縄以外の全地方で司会をした。依頼があればどこへでも飛んでいく。「人生でたった一度の晴れ舞台。失敗は許されない」と新郎、新婦、両家、参加者全員が幸せな気持ちになれるよう衣装、音響、照明、時間、サプライズなど全て綿密に打ち合わせをするためどんなに遠くても事前にその地を訪れる。時には2、3回足を運ぶことも。また、張さんが司会を務めた式の夫婦の離婚率は非常に低いんだとか。 「自分の形ができるまで200〜300回の経験がいる。しかし、型にはまりすぎてもダメ。その中にもちょっとした新鮮味を出すためにいろんな引き出しがいる。毎日、勉強が必要」 「結婚式でゆっくりと食事を楽しんでみたい」と笑う。今の願いは「民族結婚の数が増えること」だと切実に語った。 [朝鮮新報 2007.8.1] |