教員からサッカー選手へ |
JFL「YKK AP」所属 黄学淳さん 朝鮮学校の教員からサッカー選手に転職した異色の在日プレーヤー。日本フットボールリーグ(JFLの「YKK AP」に所属し、昨シーズンは30歳のチーム最年長としてチームを牽引。左サイドのMFとしてコンスタントに試合に出場し得点も挙げるなど、チームの要となった。チームの所在地は富山県。同チームに来て4年が経ったが「とても充実している」と語る。 埼玉朝鮮初中級学校、東京朝鮮中高級学校、朝鮮大学校サッカー部でボールを蹴った。サッカーでメシを食っていきたかったが、「やっていく自信がなかった」と夢を諦めた。 朝大卒業後は母校の埼玉初中で理科教員に。当然、サッカー部も指導。子どもたちを教える楽しさを覚えつつも、中途半端でやめたサッカーが心の奥底で引っかかっていた。「自分の力を試したい」−気持ちは日に日に強くなった。2年の教員生活に終止符を打ち、「サッカー選手・黄学淳」に賭けた。 「当初は何もない状態から何ができるのかわからず、不安だらけだった」。親も当初は反対したが、最後は息子の強い意志に任せた。最初はJ2水戸ホーリーホックの練習生として入団。契約を結び2年在籍。その後、現在のチームへ。1年レンタル、翌年から完全移籍した。「そろそろ引退の歳だし…」と笑うが、将来のことを考え日本サッカー協会指導者ライセンスのB級も取得している。それでもまだまだ「現役選手」にこだわる。 [朝鮮新報 2007.2.12] |