朝鮮の論調 07年上半期 |
朝米ベルリン会談(1月19日)から始動した2007年の朝鮮半島情勢。2月8〜13日に第5回6者会談第3ラウンドが開催され、「2.13合意」がなされた。続いて3月19〜22日まで第6回6者会談が開かれたが、BDA問題が障害となり議論は中断。ブッシュ政権が積極的に乗り出し解決に至るまで数カ月を費やした。しかしその後は一転、ヒル米国務次官補の電撃訪朝を経て、核施設稼働停止の初期段階措置がとられはじめるなど、事態は急展開を見せ始めている。07年上半期の論調をふり返る。 −対米 「行動対行動」の原則を常に主張 米軍の動向を注視する内容がほとんどだった。根幹に一貫して主張されているのは、「対話と戦争は両立しない」というものだ。 ベルリン会談を機に再始動した6者会談が進む一方で、米軍は南朝鮮へのステルス戦闘機配備や合同軍事演習を強行した。 このような軍事挑発行動は対話ムードに明らかに逆行するものであるという内容が、3月中旬まで連日のように配信された。
第6回6者会談の終了日(3月22日)には、「2.13合意履行に影、合同軍事演習を非難」と題する外務省代弁人の言及を配信。あらためて米軍の動向に警鐘を鳴らした。 しかしその後、BDA問題がにわかに争点化してからは一転、静観の構え。 ブッシュ政権の、凍結資金解除にもたつく様をつぶさに観察していた感が見受けられた。「対話路線への変更」が見せかけなのか、あるいは本気なのかを検証していたのかもしれない。 動きが表面化したのは6月。16日に朝鮮原子力総局総局長が国際原子力機関(IAEA)の実務代表団を招請した内容を配信した。 その中で、「凍結されていたわれわれの資金の解除過程が最終段階にあることが確認されたので、IAEA実務代表団を招請する」と指摘した。凍結資金解除の「完了」を待たずして、招請したことになる。 ヒル次官補の電撃訪朝に関しては、6月23日に外務省代弁人が米国務省次官補の朝鮮訪問に対して言及。問題討議は包括的で生産的だったとしている。 その後、6月25日には外務省代弁人が朝鮮中央通信社記者と会見。「2.13合意履行に入るだろう」という朝鮮側の立場を伝える内容が配信され、「凍結資金問題が解決された条件のもと、われわれも『行動対行動』の原則に従って2.13合意履行に入るであろう」と強調した。 −対日 総連弾圧に対し外務省声明発表 安倍政権への批判に終始した。 「従軍慰安婦」問題に代表される過去史のわい曲、防衛省昇格に見られる軍事大国化への懸念、閣僚の相次ぐ妄言に象徴される脆弱な政権運営手腕、米国追従のゴマすり外交、6者会談を理解できずに「拉致」ばかりを騒ぎ立てる的はずれの情勢分析力―など、多角的な見地から定期的に論調が配信された。 特徴としては、同じ事を繰り返し何回も配信する傾向が見受けられた。「圧力一辺倒」の政策を続ける安倍政権の外交政策を糾弾する内容が多かった。 5月10日には、「日本の醜悪な歴史わい曲策動を断罪する」と題する長文の朝鮮中央通信社備忘録を配信。また、日本は6者会談への参加資格がないとする論調も目立った。 総連と在日朝鮮人に対する政治弾圧を糾弾したものとしては、2月19日に「日本当局の総連弾圧を袖手傍観しないであろう」とする外務省代弁人声明が発表された。ほかにも、2〜3月にかけて労働新聞や民主朝鮮が総連弾圧糾弾の内容を多数、配信した。 また、7月1日にも外務省代弁人声明を発表。安倍政権による総連弾圧は朝鮮への主権侵害行為だとあらためて指摘し、最後は「…わが当該部門では、必要な措置を取るようになるであろう」と結んだ。 外務省代弁人名義の内容は幾度か配信されてきたが、「声明」は「談話」や「記者の質問への回答」とは次元が異なる。「声明」は、事態の推移が極度に達した時に発表される象徴的なものであり、07年上半期に発表された「外務省声明」はこの2回のみ。いずれも安倍政権を非難するものだった。 −対南 大統領選睨みハンナラ党批判か 今年、南朝鮮は12月に大統領選を控える。 それと関連してか、ハンナラ党批判が多かった。1〜3月まではハンナラ党批判関連の論調が洪水のように配信された。 3月に入ると次第に語調が激しさを帯びはじめる。たとえば、「売国奴逆賊(ハンナラ党)の群れを埋葬しなければならない」(労働新聞)、「ハンナラ党を審判台へ」(祖平統代弁人)、「ハンナラ党が執権すれば戦争が起きる」(民主朝鮮)などだ。 しかし、4月に入ると一転、鳴り止む。5、6月に入ってもトーンは低調なまま。何かを意図しての運びとするならば、もう少し推移を見守る必要がある。 北南関係では、米国の顔色を窺いながら対応する南側に対して、あくまで民族同士を強調する内容が閣僚級会談を前後して幾度か配信された。 北南列車試験運行関連の報道は淡泊だった。歴史的慶事として大々的に報じた南側に比して、北側はきわめて冷静に反応した。 論調も、17日に「北南鉄道連結区間―列車試験運行が行われた」という内容を配信した一回のみ。事実関係だけを簡略に報じている。 ヒル次官補の訪朝に言及した外務省代弁人は、「朝米双方は、1月にベルリンにおいて、凍結資金問題を解決するために合意したとおりに、この問題を完全に解決し、これから金融分野で協力を強化していくための方途を討議した」事実を明らかにした。 各国メディアが「接触」とする中、あくまで「会談」と報じた朝鮮。その具体的な合意内容は当時、朝米双方からは公開されず、周囲にさまざまな憶測が飛び交った。 朝米会談以降の6者プロセスを見るかぎり、すべては1月のベルリンで決まったのではないか−とする向きもあるが、ヒル次官補訪朝後に、朝鮮側がベルリン合意を想起させている事実が注目される。 ベルリン会談で朝米双方がどこまで話し込んだのか、その全容はまだわかっていない。いま知り得る情報が全てなのか、あるいは一部に過ぎないのか。いずれにせよ、「6者会談は、本質的には朝米会談」という構図が、次第に鮮明になってきている。 「BDA問題」という堰が切れたいま、6者プロセスは加速度を増して流れ出している。ぽつん、と中洲に取り残され始めている一国を除いては。(韓昌健記者) [朝鮮新報 2007.7.11] |