2日から「中学生のための『慰安婦』展」 |
「私たちにも責任がある」 「社会全体で被害者と向き合おう」 現在、ほとんどの日本の中学校の教科書から「慰安婦」という記述が消え、生徒たちがこの問題を知り、学ぶ機会が失われている。1997年に発足した日本の植民地支配を美化し、正当化する「新しい歴史教科書をつくる会」が中心となって、「慰安婦」などの日本の戦争加害と関連する記述を「自虐史観」「偏向」と攻撃し教科書から削除を求める運動を展開した結果だ。日本政府も中学校歴史教科書出版社に圧力を加えるなどし、2005年4月に文部科学省が発表した来春から使われる中学校用教科書の検定結果、中学校歴史教科書(8社すべて)から「慰安婦」の記述が消えることが明らかになった。こうした動きに歯止めをかけ、歴史の事実を知らせようと、「本当のことが知りたい」と思っている中学生から戦争体験者の世代まですべての人を対象に、「中学生のための『慰安婦』展」が2日、戦時性暴力の被害と加害の資料を集めた日本初の資料館、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(WAM、東京都新宿区)で始まった。 20代青年らがパネルディスカッション
特別展の主な展示内容は、▼日本軍「慰安婦」制度とその仕組み▼「慰安所」での生活とその実態▼日本政府の対応と世界の動き▼「慰安所」マップ▼教科書記述の変遷―などで、写真パネルや証言集、当時の資料などが展示されている。 特別展が始まった2日、「私にとっての『慰安婦』問題」と題するオープニングイベントが資料館隣の日本キリスト教会館で行われ、日本の市民、学生ら100余人が参加した。 イベントでは、「慰安婦」問題に意欲的に取り組む若い世代と、これまで「慰安婦」問題を教育現場で教えてきた元教師がパネルディスカッションを行った。 まず、埼玉県の公立中学校で教鞭をとっていた高橋美智子さんが、中1地理の授業で「慰安婦」問題を取り上げた経験について語った。高橋さんは授業で実際に用いた紙芝居「スボクさんの決心」(平和紙芝居「私たちの声を聞いて」第5巻、汐文社、1994年初版)を読み上げ、当時授業を受けた生徒たちから日本が戦争の加害者であったことや戦争の責任などについて初めてわかったなどの反響があったと紹介した。
旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委員会で活動する村上麻衣さんは、同委員会で活動した3年間を振り返り、南朝鮮やフィリピン、台湾の被害者らと交流する過程で、この問題を理解するためには「人間の尊厳」とどう向き合っていくのか、向き合うことができるのかどうかにかかっていることを切実に感じたと指摘した。そして、「慰安婦」被害者の証言を実際に聞ける最後の世代である自分たちが次の世代にどのように伝えていくのか、何ができるのかを若い世代同士で考えていきたいと話した。 中国・海南島で起きた戦時性暴力被害事件の裁判支援をしているハイナンNETで活動を繰り広げている高橋堅太郎さんは、大学のゼミで旧日本軍による強制連行に関する裁判を傍聴したことが「慰安婦」問題を深刻に考えるきっかけになったと述べ、被害者らが戦後60年以上も放置されてきたことについて怒りを覚えるとしながら、「私たちも戦後責任を負っている。日本社会全体が被害者に向き合っていくことが重要だ。自分たちが動いていくしかない」と訴えた。 「被害者が生存しているにもかかわらず、教科書から加害の記述を削除した現在の日本の状況が許せない」と話したのは、神戸女学院大学4回生の小谷直子さん。小谷さんは、大学のゼミで「慰安婦」問題を学んだ。南朝鮮を訪れ、被害者らと交流し感じたことなどを地元の高校や中学の教職員、生徒らの前で講演したところ大きな反響を得た。「加害の事実に反省もせず、変わらない政府を作っているのは私たち国民。私たちが変わらなければ、政府も変わらない」と語った。 つづいて質疑応答が行われた。 東京都の公立中学校で社会科を教える男性教師は、「学校で『慰安婦』問題を取り上げるのは難しく、これまでちゃんと教えたことがない。今日の話を参考にじっくりやっていきたい」と話した。 小谷さんの指導教授である神戸女学院大学の石川康宏教授は、「発言を聞いていて、日本にも明るい未来の種がたくさんあると感じた。『若い人の無関心』は大人が正しく働きかけていないから。われわれの政治的教養の低さがこのような社会を作っている」と指摘した。 パネルディスカッションの司会を務めたWAMスタッフの鈴木さわ子さんは、「話をすればすぐに伝わる人としか出会えていないのが現状。そうではない人たちに伝えていく『言葉探し』をしていかなければならない」と締めくくった。 「中学生のための『慰安婦』展」は来年5月25日まで行われる。(呉陽希記者) [朝鮮新報 2007.6.13] |