〈投稿〉 言論テロ、謀略記事…読売新聞とは |
公安情報の垂れ流し 読売新聞の見出しに目を疑った。「在日学生組織、北朝鮮工作員の“供給源”か…2児拉致事件」(4月25日付夕刊)、「2児拉致 朝鮮総連幹部の聴取は必要だ」(4月26日付社説)。拉致問題と総連を意図的に結びつけた一連の記事はまさに言論テロだと言うほかはない。 留学同の学生や卒業生らが憤慨するように、読売新聞は留学同の活動や学生らに対する取材もせず、公安が流した情報と推測だけで大々的に取り上げこう書いた。 「警視庁公安部は、留学同が、工作員の『供給源』となっていたとみて調べている」(25日付夕刊)、「警視庁は、留学同の役割にも注目している。工作員となる在日朝鮮人の学生を選別し、供給する機関だった疑いがあるからだ」(26日付社説) 主語を警視庁にすることによってあたかも公正な記事であるかのように装っているが、事実を検証すべきジャーナリズムの基本的使命と、国家権力の不当な行使を監視すべきメディアの役割を完全に忘却している。 オーマイニュースインターナショナル日本語版に掲載された小野川梓氏のコラム(5月7日付)は、事件の立件の難しさなどを指摘しながら「今回の捜査は、政治的な色合いが強い。拉致問題を重視し、対北朝鮮強硬策を続ける政府の意向を警察当局が汲み取り、拉致の卑劣さを国内外に印象付けようと捜査を進めているものと言わざるを得ない」と強調。警察の行き過ぎに批判や疑問を呈していかねばならないにもかかわらず、捜査の状況を大々的に報じる「新聞の無分別とも映る姿勢は問題だ」「警察情報を鵜呑みにしてはならない」と指摘した。 数々のメディアが指摘するように、安倍政権は拉致問題を全面的に強調し対朝鮮強硬政策を堅持することによって世論の支持を取り付けようとしている(実際にそうして政権を握った)。総連に対する政治弾圧は、そういった政府の意向を汲んだ警察当局による暴挙である。 今回の強制捜索は「慰安婦問題」で世界から非難を浴びる安倍サイドが、ブッシュ大統領から支持を得るために訪米直前に仕掛けた弾圧であることは明らか。それを安倍政権や公安当局の意図通りに記事にすることは政治弾圧への荷担、言論によるいじめである。 長野県に住む「拉致容疑者の兄」なる人物の単独インタビューをスクープ「できた」のも警視庁との密な関係を物語っている。一連の記事からは、読売新聞に染み付いたいくつかの腹黒い本性が見て取れる。 親米保守のDNA 昨年10月、「日本テレビとCIA−発掘された『正力ファイル』−」(有馬哲夫著)という著書が出版された。2月に「週刊新潮」で「CIA『政界裏工作』ファイル発見!CIAに日本を売った読売新聞の正力松太郎」との驚くべき見出しで報じられて以来、出版を待ちわびていた人も多かったことだろう。著者の丹念な資料調べの集大成とも言える同書は、これまで読売グループの繁栄を築いた読売新聞社第7代社長・正力松太郎に付きまとう数々の疑惑を明らかにした。 とくに読者の興味を焚きつけたのは正力とCIAの関係だ。同書によると、CIAは1000万ドル(1953年当時約40億円)の借款を正力に与え、全国縦断電磁波通信網建設を支援しようと目論んだ。この工作は失敗に終わったが、仮に成功していればCIAは日本テレビと契約を結び、米国の政治、経済、軍事、情報のあらゆる分野で利用するつもりだったという。 この工作は失敗したものの、マイナー新聞を朝日、毎日に対抗するメディアへと成長させた正力の手腕を買ったCIAや米国の日本ロビイストによる関与は一貫していた。CIAは正力に「ポダム」という暗号名まで付けていた。そんな正力は知ってか知らずか、テレビ構想を進めた。米国はそれを「反共の防波堤」として巧みに利用した。「テレビの父」と称される正力に付きまとったCIAの影はまさに事実として明るみになったのだ。 正力は「原子力の父」としても知られている。正力は首相の座を得るため読売メディア総動員で原子力平和利用キャンペーンを展開、CIAは正力を利用して日本の反原子力世論の沈静化を図り、ゆくゆくは日本への核兵器の配備を政府首脳に呑ませようと目論んでいたという。 単刀直入に言うとこうなる。世界で唯一核兵器を落とされた(しかも二度も)国が10年も経たないうちに原発導入を決めるに至った。そこで暗躍したのが読売だということだ。 読売新聞や日本テレビに見られる親米保守、対米追従の一貫した姿勢は、正力が持ち込んだDNAだと言える。1924年、正力の社長就任以来、読売新聞は右に急旋回し、政府、警察の発表を垂れ流す体質が定着した。戦争翼賛メディアとして日本を戦争に追い込むにも一役買った。今も連綿と受け継がれるこの姿勢と体質は紙面や画面を通じてひんぱんに目に飛び込んでくる。狂乱的な反朝鮮、反総連報道もこんな脈絡から考えると納得がいく。 読売と黄色主義 しかし、読者数を劇的に増加させた「手腕」に目をつぶるわけにはいかない。正力の「手腕」の一つがイエロー・ジャーナリズムの導入だ。イエロー・ジャーナリズムとは、事実報道よりも煽動やセンセーション、誇張に重点を置く報道形態で、19世紀米国で読者数増加のための手段として用いられた。今で言う写真週刊誌やスポーツ新聞、ワイドショーなどの元祖とも言われる。 読者数で読売新聞の追随を受ける他紙は正力のイエロー・ジャーナリズムを「エロ・グロ」と批判している。「東京新聞評論(七)」(1936)は次のように批判している(木村愛二著「読売新聞・歴史検証」から引用)。 「読売はアメリカのいわゆる黄色紙の行き方を完全に模倣している。徹底したセンセーショナリズム…それが読売の身上であると言っていい。新聞が商品である以上、売れることを第一義としなければならないのは言うまでもない、売るためには大衆の嗜好に投ずる事を考えなければならない、正力のエロ・グロ主義はここから生れて来るのである」 「読売に対して、いまさら品位を保てとか、政治に興味を持てとか、外電を充実しろとか、難きを強いるほど筆者は野暮ではないつもりだが、読売の将来のために、注意して置きたいのは、エロ・グロにも種切れがあり限界があるものだということだ。そして今にしてこの行き詰まりの打開策を講ずるにあらざれば、豪勇正力も衣川の弁慶坊主のようにエロ・グロの七つ道具を背負ったまま、みぢめな立往生をしなければなるまい」 正力は紙面にセンセーショナルな見出しを載せ読者の興味を引き付けていった。社会面にヌード写真を掲載し、新聞のテレビ欄の発祥と言われる「よみうりラヂオ版」を創設した。日本への野球導入で活躍したことは有名な話だ。 ついには好戦的な報道で戦争を煽り日本を破滅の道に追いやる急先鋒の役割を果たした。正力自身はA級戦犯に指定され収監されたが占領軍の恩赦によって不起訴となった。釈放については米国側の「配慮」が指摘されている。 在日朝鮮人弾圧 正力は読売新聞の部数を大きく拡大させた「読売中興の祖」として「大正力」と呼ばれた。「蛙の子は蛙」、狼が羊に変わることはないように読売新聞はこれからも「大正力の新聞」であり続けるのだろうか。 読売新聞4月25日付夕刊に「在日学生組織、北朝鮮工作員の“供給源”か…2児拉致事件」という見出しが躍った。まさにイエロー・ジャーナリズムの真骨頂と言える。B級週刊誌やスポーツ紙でさえも躊躇しそうな恥ずかしい見出しを世界一の発行部数を誇る天下の読売新聞は惜しげもなく掲載してのけた。 これも読売新聞のDNAに刷り込まれた正力の特性のようだ。 1921年、正力松太郎当時36歳、彼は警視庁で警視総監に次ぐナンバー2の官房主事に就任した。そして迎えた1923年9月1日、関東大震災。災害時の治安維持に努めるべき立場の人間がなんと、朝鮮人虐殺を誘発させたのだ。 当時、朝日新聞の営業局長が震災発生時の状況をこう解説した(参照=木村愛二著「読売新聞・歴史検証」、石井光次郎の伝記「回想八十八年」)。 「記者の一人を、警視庁に情勢を聞きにやらせた。当時、正力松太郎が官房主事だった。[中略]帰って来た者の報告では、正力君から、『朝鮮人がむほんを起こしているといううわさがあるから、各自、気をつけろということを、君たち記者が回るときに、あっちこっちで触れてくれ』と頼まれたということであった」 正力自身はこのときのことをこう回顧している(1944年警視庁での講演)。 「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました」 何を失敗したのか。続く発言では警察がデマに躍らされ無駄に警戒にあたっていたとされている。しかし、デマで多くの朝鮮人が虐殺されたことを容易に知りうる地位にいた事実は否定できない。正力の「失敗しました」のなかに朝鮮人虐殺への自戒の念がこもっていたのだろうか。いずれにせよ、警視庁のナンバー2がそういったデマを流布するのに荷担したことはまぎれもない事実、責任を逃れることはできない。 読売新聞は、4月25日、留学同など総連関連団体への強制捜索でも当局垂れ流しのデマを何ら取材も検証もせずに掲載した。親米保守、イエロー・ジャーナリズム、そして朝鮮人バッシング。正力が残したDNAの有機的結合記事だ。 読売の手法を逆手に取るとこんな見出しが思い浮かぶ。 「日本の最大手新聞、ネオコンの”拡声器”…朝鮮叩きで読者獲得」 読売新聞東京本社のロビーに正力松太郎の銅像がある。もちろん反面教師とするために建てられたのだろう。読売新聞や日本テレビの大半は良心的な記者たちで、有益な記事や情報を発信していることを多くの人が知っている。(メディア史家、金勇樹) [朝鮮新報 2007.5.12] |