〈論調〉 下村官房副長官の「慰安婦」発言批判 |
内閣官房副長官の下村はあるラジオ番組に出演(3月25日)し、日帝の大陸侵略戦争の時期、「慰安婦」問題に日本軍が関与したわけではないとうそをついた。さらに、「慰安婦」がいたのは親が娘を「売った」からだと言って、過去の日帝の「慰安婦」犯罪をわい曲した。 10代の少女から既婚女性に至るまでの20万人に及ぶ朝鮮女性たちを拉致、誘拐、強制連行して戦場に連れて行き、「皇軍」の性奴隷生活を強要した日帝の罪はどの戦争史にも見られない特大型の反人倫的犯罪である。それについては、すでに世界に広く公開されている。日増しに世界的規模でかつて日帝が強行した「慰安婦」犯罪に対する抗議、糾弾の声が高まっている。 この世に、親として自分が生み育てた娘を侵略軍の性奴隷に売り渡す者はいない。そのようなことは今までもなかったし、今後もありえない。 明白に言っておくが、日本軍「慰安婦」犯罪は動物的な生活を好む倭国族党だけが働くことのできる野蛮な行為である。 日本の高位政治家という下村が日本軍「慰安婦」犯罪を全面否定、わい曲するのは、軍国主義的史観をもって真実を覆そうとする反歴史的行為である。過去、日帝の血なまぐさい罪悪の重大さをはっきり知っていながらも、日本軍「慰安婦」犯罪について勝手に言いながら、それを全面わい曲、否定している下村の妄動は、「慰安婦」被害者たちと世界の良心、正義に対する許しがたい挑戦である。 下村の妄動は、過去の戦争犯罪に対する現倭国政府の立場と態度をそのまま反映したものだと言える。日本首相の安倍が「慰安婦」問題の強制性を否定したのに続き、彼の腹心である下村がそれに相づちを打っているのは、現日本執権層の極右的で軍国主義的な思想的共通性と態度をよく示している。倭国当局は、過去の戦争犯罪を率直に認め、反省、謝罪しようとしていない。その裏には再侵略野望が潜んでいる。倭国執権層の歴史わい曲行為は、敗北に対する復しゅう心と再侵略野望から発したものである。まさにここに、日本反動層の歴史わい曲、過去の清算回避策動の重大さと危険性がある。 倭国反動層の過去の罪否定、わい曲策動は朝・日敵対関係を極限へと追い込む行為である。個人の関係や、国家間の関係において、敵対的意識が助長され、それが積もりに積もれば衝突は避けられなくなる。現在、朝鮮人民の対日復しゅう心は天に達している。その原因は、倭国族党が過去の朝鮮侵略罪を必死になって認めず、否定、正当化しているからである。膝をついて三拝九拝しても気が済まないのに、朝鮮人民の気高い精神的、道徳的美風を冒とくし、過去の罪を被害者に転嫁しようとする倭国族党の妄動をどうしてわが人民が許せようか。朝鮮人民を冒とくした日本反動層の罪はいつまでも計算されるであろう。 政治悪徳商人の群れである安倍勢力は、過去の罪を否定、わい曲し、すでに解決済みの「拉致問題」を世論化、国際化して自分らの汚らわしい政治的余命を維持しようと無分別に振る舞っている。 しかし、そのような間の抜けた行為はむしろ、彼ら自身の境遇をさらに苦しくするだけである。 日本反動層の鉄面皮かつ悪賢い過去の罪否定、わい曲行為によって日本が得る利益は何もない。倭国が生きていく道は、過去の罪わい曲ではなく、それに対する謝罪と反省に基づく周辺諸国との関係改善である。日本の反動層は、現在のように引き続きひねくれたことばかり言いながら意地汚く振る舞っていれば、ひどい目にあうことをしっかり認識すべきである。(労働新聞3日付論評) [朝鮮新報 2007.4.12] |