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〈戦略的展望の見えない日本の姿勢−上〉 共和国の核保有と朝・日関係

 6者会談が再開された。朝米の対立は厳しく予断を許さないが、朝鮮民主主義人民共和国(共和国)の地下核実験成功後の比較的早い時期に再開されたことは、交渉のテーブルにつこうという関係各国の意向を反映したものといえよう。

 共和国の核実験直後、日本のマスコミはこれを「暴走」「瀬戸際外交」と評し「6者会談の破たん」「北朝鮮を除外した5者会談」といった的外れの論議や日本核武装論まで出てきた。

 共和国のミサイル発射訓練に際し、国連憲章の軍事行動をふくむ制裁条項の適用をもっとも強硬に主張したのは日本であった。どこの国もなんの行動もとっていない時に、ひとり突出して独自の制裁措置をとりヒト、モノ、カネの流れ、「万景峰92」号のような人道的な船舶の入港まで遮ったのも日本であった。

 責任ある政府高官が共和国にたいする先制攻撃まで公言する日本の高圧的な姿勢は常軌を逸した過剰反応というべきで、近隣諸国の対応とは明らかに異なる。

 共和国の核実験で地政学的にもっとも直接的な影響をうけるはずの南朝鮮は米国や日本の強硬政策とはっきり距離をおいている。昨年10月9日、南朝鮮を訪問した安倍首相は共和国の核実験にたいし共同抗議声明を出そうと提起した。しかし盧大統領はきっぱりと断り、むしろ靖国、歴史教科書、「従軍慰安婦」など歴史認識の問題を重視した。

 共和国の核実験直後、金大中前大統領はソウルで行われた国際フォーラムで「北朝鮮を核保有へと追いこんだのは、2者会談を何度も要求した北朝鮮の提案をこばみ、強圧をつづけた米国に責任がある」と指摘した。ロシアのウラノフ国防相は共和国が「世界第9の核保有国である」と述べたが、プーチン大統領は「北朝鮮の核保有は米国の行きすぎた強硬政策の結果である」と言及した。中国の立場は明らかに日本と異なる。

 長期にわたり米国は、共和国に軍事的圧力をかけつづけてきた。

 1953年7月に朝鮮戦争停戦協定が結ばれた。しかし停戦協定を平和協定に転換することをたび重ねて要求する共和国の提議を米国はことごとく拒否した。停戦協定は「打ち方やめ」であって安定した平和を保障するものではない。朝鮮半島では今なお、いつ戦争が再発するかわからない危険な状態が続いているのである。

 冷戦時代、一貫してソ連「封じこめ政策」を追求した米国は朝鮮半島で緊張状態を強め、朝鮮有事を口実に日本をも巻きこんだ戦争準備をすすめてきた。日本の国会で暴露された「三矢作戦」「フライング・ドラゴン作戦」などやこんにちの有事関連法体制はすべて朝鮮有事を前提とした戦争シナリオである。

 米国は武器搬入を禁止した停戦協定に違反して、57年7月には南朝鮮への核兵器配備を公然と宣言した。

 南朝鮮で恒例のように続けられてきた「チーム・スピリット」「フォーカス・レチナ」など韓米共同軍事演習の目的が共和国にたいする核攻撃訓練であることを米国は隠していない。

 米国のひきつづく戦争政策に対処して、62年12月10日、朝鮮労働党中央委員会第4期第5回全員会議は経済建設と国防建設を併進させる重要な路線を採択した。これに基づいて共和国は全民武装化、全軍幹部化、全軍近代化、全国要塞化の軍事路線を進め、あらゆる困難に耐えながら米国の核攻撃に備えた。

 共和国は国土面積において米国の1/79、人口において1/10、軍事費の予算にいたっては4000億ドル台にのぼる天文学的数字の米国とは比べるまでもない。

 朝米の対決関係はライオンとハリネズミの関係に例えられよう。ライオンはなるほど体が大きく力も持っているが、みだりにハリネズミを襲うことはできない。小さいながらハリネズミは鋭い針をもっているからである。併進路線によって共和国は全身を針で武装し、ライオンから身を守る態勢を営々として築いたのである。

 これまで朝米間には一触即発の戦争の危機が4回あった。

 最初の危機は68年1月、米国のスパイ船「プエブロ」号が領海内に侵入し人民軍に拿捕された事件から発生した。

 2回目は共和国領空を侵犯した米国の大型スパイ偵察機EC121が69年4月に撃墜されて情勢が激化した時であり、3回目は76年8月に板門店共同警備区域内のポプラを米軍が協定に違反して伐採したことによる紛争から発生した。

 4回目の危機は共和国にたいする「核疑惑」と関連して94年6月におこった。当時、60万の軍隊と戦闘機1600機を動員して戦争を準備したクリントンは南朝鮮在留米国市民の総引き上げを命じ事態は極度に緊迫した。しかし元大統領のカーターが訪朝し、金日成主席との会談によって危機は回避された。

 これは米国の「善意」によるものではない。ボスニア・ヘルツェゴビナ、アフガニスタン、イラク侵攻が示すように米国は相手が弱いとみれば情け容赦なく侵略する国である。

 94年に朝米関係改善で転機が訪れたのは、共和国が米国の圧力の前に妥協したからでも「瀬戸際政策」をとったからでもない。それは相手が強大国であろうとも断固として自主の原則を曲げず、和戦両局面に対応する準備が共和国にあったからである。(白宗元、歴史学博士)

[朝鮮新報 2007.1.13]