〈月間平壌レポート〉 宣言発表後各地で北南行事 |
それぞれの希望と決意 【平壌発=姜イルク記者】盧武鉉大統領は平壌訪問最終日の4日午前、「北南関係の発展と平和・繁栄のための宣言」に署名するに先立って、南浦にある平和自動車総合工場と西海閘門を訪れた。雄大な西海閘門とその一帯を一望できる展望台に夫人とともに立った大統領は、次々と随行員らを呼び寄せ記念写真を撮っていた。大統領の明るい表情と上機嫌な振る舞いは、記者らに北南首脳会談で実のある合意がなされたことを感じさせた。予想どおり、6.15全面履行の重要契機となる画期的な宣言が発表された。取材現場にもその内容が伝えられ、記者らは今後さらに活性化される北南行事の取材で忙しくなるだろうとうれしい悲鳴をあげていた。 東西の軍事境界線付近で
歴史的な北南首脳会談後さっそく、各地でさまざまなイベントが競い合うかのように行われている。 北南を分断する軍事境界線の東側地域、金剛山では第16回離散家族と親せきの面会が17日から22日まで行われ、分断後消息すらわからなかった190組の家族が再会を果たした。 慈江道江界市に住むチュ・ヨンミさん(78)は、いとこ、兄の息子と娘と会い、喜びを分かち合った。 20歳までソウルの大学で朝鮮舞踊を習ったチュ・ヨンミさんは、単身で北に渡った後、かの有名な崔承姫舞踊劇場で活動。東欧各国で巡回公演を行うなど、60代まで朝鮮舞踊とともに生きてきた。 肉親と再会した席上でチュ・ヨンミさんは朝鮮舞踊の動作を繰り返し見せながら、自らが歩んできた北での生活を語った。北南首脳会談の結果を受けて統一はそう遠い未来のことではないと確信したと話すチェ・ヨンミさんは、ソウルで公演の舞台に立ちたいとの希望を口にしていた。 今回の面会事業には、北と南の赤十字団体の責任者が参席した。朝鮮赤十字会の張在彦委員長と大韓赤十字社の韓完相総裁は、会場を一緒に見て回りながら、再会を果たした家族らをあたたかく祝福した。そして、民族の平和と繁栄のため北南双方の赤十字団体が力を合わせさらに誠実に努力していくことを誓い合っていた。 面会の会場からは、雄大にそびえ立つ12階立ての金剛山面会所が見える。05年着工、来年上半期に完工するという。「北南関係の発展と平和・繁栄のための宣言」によると、北と南は離散家族の面会を拡大し、ビデオレター交換事業を行うことにした。宣言には、「このために、金剛山面会所が完工するにつれて双方代表を常駐させ、離散家族と親せきの再会を定期的に行うことにした」と明記されている。 建設中の面会所は、再会後また離れなければならない北南の家族らに新たな希望を与えていた。 一方、西の開城では19日、世界女子ボクシング理事会(WBCF)スーパーフライ級タイトルマッチが行われ、580人の南からの観光客が開城市民300人とともに観戦した。500人規模となる南側大型観光団の訪北は、2003年10月、柳京鄭周永体育館の開館式に1000人が参加して以来の最大規模だ。 前座試合では北南対決が2試合あり、北の選手がともに圧勝した。南の観客席は当初しらけた雰囲気さえあったが、北と日本の選手との2試合は、北南が一緒になり同族の北の選手を応援した。そして勝利の瞬間、会場が沸いた。 メインイベントでは、元王者の北のリュ・ミョンオク選手がメキシコの王者に挑戦。接戦の末、判定勝ちし王者に返り咲いた。会場は一丸となって祝福の拍手を送った。北南がひとつになった瞬間だった。 寒さしのぐ住民に励み 10月中旬から平壌の気温は急激に下がり始めた。20日の最低気温は2度を記録し、体の底から寒さを感じるようになった。休日、大同江のほとりで食べ物を広げ休暇のひとときを過ごす市民の姿も見られなくなった。国内のメディアによると市内では温水暖房施設の点検が行われるなど、早々と冬支度がなされている。 今年の夏の記録的豪雨による被害があった黄海北道・谷山郡にも、刻々と冬が訪れていた。 谷山郡人民委員会によると、大雨により郡内の567棟の家が全・半壊し、被害の直後から400棟が新たに建設されている。建設は急ピッチで推し進められ、388棟がほぼできあがり、残りは12棟だという。 この地域に11日、総連水害支援物資の一部、毛布400枚が届けられた。 総連からの支援物資は、とくにテント暮らしで寒さをしのいでいる住民らに大きな勇気と希望を与えていた。 物資を受け取った住民らは口をそろえて、「同胞愛の温かさを感じる」「苦境の中で祖国人民を忘れず支援してくれたことは一生忘れない」と話していた。涙を流しながら感謝の言葉を語る住民もいた。そして、われわれは未来を悲観していない、弾圧にめげず総連同胞もがんばってくれとエールを送った。 [朝鮮新報 2007.10.24] |