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〈今月の金正日総書記−8月−〉 連日伝えられた咸鏡道指導

 金正日総書記の咸鏡道の経済部門に対する指導が連続して報道された。朝鮮各地を襲った豪雨の際にも、現地の工場を指導した様子が伝えられている。月別にみると、今年最多の19回(そのうち2回は海外への祝電)の活動が報じられた。

「三伏期の強行軍」

 「三伏期の強行軍」。今月、相次いだ総書記の経済分野に対する視察を国内ではこのように評している(三伏=夏の暑さが厳しい時期・初伏、中伏、末伏の総称。夏至後第3の庚の日を初伏、第4の庚の日を中伏、立秋後の最初の庚の日を末伏という)。

 総書記は、「7月下旬から8月中旬に数十の単位を現地指導」(労働新聞9月6日付)した。

 朝鮮中央通信が伝えたのは、羅南炭鉱機械連合企業所(4日発)、咸鏡北道人民病院(5日発)、金策製鉄連合企業所(6日発)、城津製鋼連合企業所(7日発、以上咸鏡北道)、2.8ビナロン連合企業所と竜城機械連合企業所(10日発)、興南肥料連合企業所(11日発)、咸興木製品工場(12日発)、咸興戦傷栄誉軍人合成樹脂日用品工場(13日発)、端川鉱山機械工場と端川製錬所(13日発、以上咸鏡南道)に対する指導。総書記は、各企業所の現状を把握し課題を提起した。 

 労働新聞は8月31日付に「勝利を信じよ! 明日を信じよ!」と題する長文(約1万4000字)の政論を発表し、総書記の一連の現地指導を「富強祖国を建設するうえで新たな転換的な局面を開く実に深遠な意義を持つ」ものだったと規定した。

 そのうえで、「苦難の行軍」と呼ばれる経済的に最も苦しかった時期に行われた慈江道江界市への現地指導(「雪の強行軍」)を「苦難と逆境の中で勝利の突破口を開いた信念の強行軍」とするなら、「三伏期の強行軍」は「『先軍』の青空のもと、幸福の春を呼び込む楽園の強行軍」だと表現した。

 総書記は咸鏡北道に続き興南地区と端川地区の主要工業基地をはじめとする咸鏡南道の各部門を指導し、「すでにわれわれは楽園の道に入った」「咸鏡南道ではすべてがうまくいっている」と満足を表したという。

 実際、これらの企業所は、コークス炉の建設と焼結炉の改造工事(金策製鉄)、科学的な生産システムの確立(城津製鋼)、新型電解槽、大容量電解整流器、黒鉛冷却機などの設備、機械開発(2.8ビナロン)、新型コンプレッサー製造(竜城機械)、肥料生産ラインの改造(興南肥料)、10メートルターニング盤など工作機械製造(端川鉱山)、最新式製錬所整備(端川製錬)など生産を高めるのに必要な技術改造や機械製造を自力で行った。

「黎明」から「日の出」へ

活 動 日 誌

−軍視察

1日 朝鮮人民軍第264連合部隊指揮部 ※
2日 朝鮮人民軍第136軍部隊 ※
3日 朝鮮人民軍第273軍部隊指揮部 ※
10日 朝鮮人民軍第156軍部隊管下の区分隊 ※
13日 朝鮮人民軍第1286軍部隊 ※

−その他軍関係

なし

−経済視察

4日 羅南炭鉱機械連合企業所 ※
5日 咸鏡北道人民病院 ※
6日 金策製鉄連合企業所 ※
7日 城津製鋼連合企業所 ※
10日 2・8ビナロン連合企業所と竜城機械連合企業所 ※
11日 興南肥料連合企業所 ※
12日 咸興木製品工場 ※
13日 咸興戦傷栄誉軍人合成樹脂日用品工場 ※
13日 端川鉱山機械工場と端川製錬所 ※

−外交

13日 最高人民会議常任委員会の金永南委員長と連名で、キューバ共産党第1書記で閣僚評議会議長のフィデル・カストロ・ルス国家評議会議長の81歳の誕生日にあたり祝電
15日 朝鮮解放62周年に際して、ロシアのウラジーミル・V・プーチン大統領に祝電

−その他

9日 朝鮮労働党咸鏡南道定平郡委員会のオ・ギソク責任書記の死去に深い哀悼の意を表し、故人の霊前に花輪
12日 浄光寺を訪問※
23日 鄭泰雲氏の死去に深い哀悼の意を表して、故人の霊前に花輪
23日 美術創作活動を指導 ※ 
23日 工場機動芸術扇動隊活動を指導 ※

※は朝鮮中央通信配信日

 咸鏡南道の各部門に対する指導は、2000年以降ほぼ毎年、数次にわたり行われてきた。

 同道には化学、採取、機械など工業各部門の生産施設が集中しており、国の経済活動において鍵を握る重要な道として位置づけられている。

 「眠っていた咸鏡南道が目を覚ました。怒涛のように奮い立った」−前記政論は総書記が1999年3月、咸興地区を訪れた際、「ここでも江界精神の火花が上がらなければならない」と発言したことをきっかけに「新たな攻勢」が始まったと指摘した。

 続く転機は2002年6月。総書記は剣徳、龍陽、大興など端川地区の鉱山を訪れ、同地区の工業を早期に活性化するための「設計図」を提示した。続いて咸興地区での指導過程で「化学工業の新しい発展方向」を示し、「飛躍の跳躍台」が整えられたというわけだ。

 2005年9月、竜城機械連合企業所、興南肥料連合企業所などを指導した際には、その目的について、「数年の間に国の工業を建て直し、人民が豊かに暮らすために画期的な転換を起こすため」だとしながら「本格的な飛躍のための手本と代案」を示した。そして翌2006年を「過渡期」に、今年2007年を「その成果を全面的に拡大する」年だと定めた。

 こうした近年の相次いだ現地指導を通じて、咸鏡南道の工業を発展の軌道に乗せ、「経済強国」建設をいっきに進めていこうという総書記の構想の一端をうかがい知ることができる。前記政論は、朝鮮の工業地帯−咸鏡南道で起こった変革が、「人民経済の重要部門がさらに活力にあふれ呼吸し始め、人びとが豊かに暮らす日も決して遠くないという希望に満ちた新しい春の産声」であったと指摘している。

 また咸鏡南道での成果を、慈江道の「将子江の不夜城」や平安北道の「泰川の気概」といった国内で一大キャンペーンを巻き起こした現象と並べ、特別な意義を付与し、「経済強国建設の先駆者の英雄的気概」と称えた。

 今回の総書記の「三伏期の強行軍」と関連して、労働新聞はじめ国内の言論が、昨年から今年にかけて使ってきた「黎明」という表現が「日の出」という表現に変わっている点も注目される。(呉陽希記者)

[朝鮮新報 2007.9.26]