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「朝鮮宝石画」 国際特許申請、独創的な技法による美しさ

 【平壌発=文・李相英記者、写真・盧琴順記者】「永遠に変わることのない絵画」。20余年前に朝鮮が初めて世界に発表した「朝鮮宝石画」に対する評価だ。大小のさまざまな天然石粉を使った宝石画の美しさと精巧さは見る人々に特別な感銘を与える。

 宝石画の考案者は万寿台創作社宝石画創作団の団長であるシン・ポンファ博士。彼の研究成果「不変色材による宝石画創作方法とその形象道具」は、昨年11月、朝鮮民主主義人民共和国特許として正式登録された。国際特許権取得のための申請もすでに終えた。

建設現場で着想

 宝石画の発明は今から20余年前、とある建設現場から始まった。

 当時、万寿台創作社朝鮮画創作団に所属していたシン博士は、祥原セメント連合企業所に経済扇動隊員として派遣された。そのとき彼は現地の労働者たちが全国各地で集めた石粉で従業員用住宅の外装材を作るのを見た。多種多様な石があり、そこには存在しない色がなかった。 

独特な美しさを放つ朝鮮宝石画

 「それこそ天然色だった」と、彼は当時を回顧して言う。「色がとても柔らかく、高尚だった。無機物質の色が持つ堅固さも魅力的だった」。

 数千、数万年の風化作用にも変わることのない石粉を材料として絵を描くことができれば、永遠に退色しない作品になるのではないか。しかし、石に対する知識は皆無だった。新しい美術作品の創作形式を着想したシン博士は、それを現実のものにするため、研究を深めていった。

 1987年5月、初めての宝石画作品が世に誕生した。

 88年10月には、中国・北京で行われた国際発明展覧会で「不変粉材料による新しい美術作品形象方法」に金メダルが授与され、国際的な認知も得るようになった。

 89年11月には万寿台創作社内に専門の創作グループが結成された。当時は宝石画という名称ではなく「石粉絵画」と呼ばれた。

 金正日総書記は彼の作品を何度も見て「すばらしい成果」だと高く評価したという。90年5月、「朝鮮宝石画」と命名された。

10段階の石加工工程

宝石画作品の「朝鮮虎」

 宝石画という名には二つ意味が込められているとシン博士は言う。

 一つ目は「画材に宝石が使われている」こと。また、「多くの色が配合されて、光沢のある絵そのものが珍貴で宝石のように美しい」というのが2つ目だ。

 自然色石を全国から収集してひと粒ひと粒加工し、作品を作っていく。石は露天や川の中、地下にもある。火山が噴出した場所にも、色の美しい石が多い。黒砒石、軟玉、孔雀石など使われる宝石の種類も多様だ。石を高温で溶かして結晶化した人工宝石も一部使用する。

 宝石画の創作技法は筆で描く伝統的な絵画創作技法とは大きく異なる。以前にも石を加工して創作した美術作品はいくつかあったが、石粉を材料に精巧な絵を描くことは宝石画が初めてだという。

 石加工工程は10を超える。創作のための専門道具も別途に開発された。このすべてが特許の対象となった。材料加工方法と作品の形象技法や道具など、創作技術に関する情報は「国際特許を取得する前に明らかにはできない」(シン博士)。

海外普及事業も

 多くの国際展覧会で賞を受けるなど、対外的にも高い評価を受けている朝鮮宝石画は、日本の小泉元総理の第1回訪朝、インドネシアのメガワティ大統領をはじめ、各国首脳の訪朝時、贈り物として贈呈された。

万寿台創作社宝石画創作団のシン・ポンファ団長

 現在、宝石画の外国での普及事業が課題として提起されている。アジア、ヨーロッパの諸外国から宝石画を学びたいとの要請が多数あるという。専門教育機関を設立したいとの提案もあった。シン博士は海外の大学で講義を行った経験に基づいて「宝石画が独創的な美術創作形式という評価は海外で確固たるものになっている」と指摘した。

 「だからこそ、この技術の所有者を明らかにすべきなのだ。提起される事業を適切に推進するためにも国際特許を取得しなければならない」

 宝石画創作団には現在、60人を超える作家が在籍している。5年前、平壌美術大学に専門学科と講座が設けられた。

 シン団長は次世代の創作家が育っているとしながら、「より良い作品を多く創作して宝石画の対外的な宣伝普及活動に励みたい」と語った。

[朝鮮新報 2007.7.11]