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誘拐された朝鮮人女性が帰国 03年に朝中国境地帯で拉致

 【平壌発=文・李相英記者、写真・盧琴順記者】2003年に朝中国境地帯で誘拐拉致されて、日本に渡った朝鮮女性が6月26日、平壌に再び戻ってきた。

 北京発平壌行の高麗航空飛行機便で、この日午後に平壌空港に到着した都秋枝さん(58、平安南道北倉郡)は、迎えにきた息子や娘、孫と3年7カ月ぶりに対面した。

 都さんは平壌空港で行われた記者会見で、「本当にうれしい。息子や娘のために一刻も早く帰って来たかった」と話した。

平壌に戻ってきた都秋枝さん(右から2番目)とその家族

 そして自らの誘拐拉致された経緯と、日本での生活などについて説明した。

 1949年10月28日、神奈川県川崎市で父親の都サムダルさんと、母親の石川美代子さんの三女として生まれた都秋枝さんは、1960年に両親とともに帰国した。

 都さんは誘拐拉致の経緯について、「2003年10月18日、国境地域で騙され豆満江を渡り、待機していた車に乗せられた。その後、瀋陽の日本領事館に入り、11月21日に日本に入国した」と説明した。

 都さんは日本での生活について、「幼い頃に日本で暮らしたときは、人々がとても温かく人情深かったが、今ではお互いを思いやる心がまったくなくなったようだ」と指摘した。

 都さんは日本で一人で暮らした。

 彼女は「日本に親せきは多いが、今年100歳になる叔母だけが温かく接してくれた」としながら、3年7カ月の間、日本には「まったくなじめなかった」と話した。

 都さんは日本で暮らした期間、毎日のように子どもたちへ手紙を書いたという。彼女は子どもたちからの電話を受けるたびに、「必ず帰る。待っていてほしい」と応えた。また、子供たちと孫たちが元気で暮らしているという知らせを聞き、「みんなに会いたくてたまらなかった」という。

 都さんは、日本の役人たちが自分に、子どもたちを連れて来てはどうかと言った時、子どもたちを連れて来るのではなく、自分が帰らなければならないと考えた。会見で都さんは、「死んでも子どもたちのそばで死ぬべきであると何度も決心したすえに今日、この道に立った」としながら、「今日、わたしの願いが実現された」と感慨深く述べた。

 都さんは6月21日に成田空港出発後、北京大使館で滞留しながら帰国の日を待った。

 彼女は「日本に着いた最初の日から今日まで、必ず祖国に戻るという気持ちを持って生きた。私のために、多くの人々が苦労した。みなさんの支援に本当に感謝する」と述べ、会見を終えた。

 帰国に先立ち、都さんはこの日の午前、北京市街の駐中朝鮮大使館で記者会見を行った。

[朝鮮新報 2007.7.2]