非転向長期囚 李仁模氏死去 平壌で人民葬として葬儀とり行われる |
元朝鮮人民軍従軍記者で非転向長期囚の李仁模氏が、南朝鮮の監獄で受けた拷問の後遺症により2007年6月16日午前7時、89歳を一期に死去し、葬儀が18日、平壌で人民葬としてとり行われた。葬儀委員会のメンバー(委員長=金永南氏、副委員長=崔泰福氏、委員55人)、故人の遺族と親せき、非転向長期囚、党と政権機関の幹部、朝鮮人民軍将兵、市内の勤労者が参加した。 追悼曲が響くなか出棺され、ひつぎを乗せた車が平壌市郊外にある愛国烈士陵へ向かった。街頭で市民が深い哀悼の意を表した。 烈士陵には朝鮮人民軍儀仗隊が整列していた。 現地で永訣式が行われた。 愛国歌が奏楽されたあと、最高人民会議常任委員会の金永南委員長が哀悼の辞を述べた。 金委員長は、李仁模氏は生涯を通じて、革命家は自分の領袖、自分の党をいかに仰ぎ、党と革命の前で立てた誓いをいかに守っていくべきかを実践で示した不屈の人間であったと指摘した。 そして、われわれは、祖国統一とチュチェ革命偉業実現の勝利をめざす闘争の道に一生をささげた李仁模氏を永遠に忘れず、貴重な革命同志を失った悲しみを力と勇気にかえてチュチェ偉業の最終的勝利のためにいっそう力強くたたかっていくと述べた。 追悼曲が奏楽され弔銃が響き渡るなか、ひつぎが墓に安置された。 金正日総書記からの花輪が墓に進呈された。また、各単位からの花輪も進呈された。 李仁模氏の死去に際して、党、武力、政権機関、社会団体、省、中央機関の幹部、人民軍将兵、非転向長期囚、各階層の人民が17日、平壌の人民文化宮殿に安置されているひつぎを訪ねて深い哀悼の意を表した。 一方、駐朝外交団と国際機構代表、6.15共同宣言発表7周年記念民族統一大祭典に参加した6.15共同宣言実践海外側委員会代表団と祖国に滞在中の海外同胞もこの日、故人のひつぎを訪れて弔意を表した。 ■ 略歴 ■ 1917年8月24日、両江道金亨権郡の貧しい農家に生まれる。 日帝植民地支配の時期、あらゆる民族的蔑視のなかで暮らしてきた氏は、金日成主席が組織、指導した抗日武装闘争の影響のもとで反日闘争に参加し、祖国光復会に網羅されて国の解放のためにたたかった。 氏は解放後、主席が示した建党、建国、建軍路線に従って党の末端組織をつくる活動に積極的に参加し、45年10月から50年6月まで面党委員長、郡党宣伝部長、市党宣伝部長を務めた。 氏は、朝鮮戦争当時に朝鮮人民軍従軍記者として活動し、一時的な後退の時期に智異山人民遊撃隊で敵中闘争を繰り広げた。 氏は52年1月に逮捕され34年間の獄中生活をおくった。 拷問と懐柔、欺まんにも屈することなく、朝鮮労働党員としての革命的信念と志操を守り抜き、出獄後、長期間の監獄暮らしによる病魔に苦しみながらも統一運動を行った。 93年3月19日、北側に帰還。党と革命、祖国と人民の前に積み上げた功績によって共和国2重英雄称号と「金日成勲章」、祖国統一賞をはじめ国家表彰を受けた。(朝鮮通信) [朝鮮新報 2007.6.22] |